踊る握りだけがウリではない、鮨はしぐち

誰が言い出したのか「踊る鮨」で有名な「鮨はしぐち」。マスコミに露出していませんが、わずか6席の予約困難な繁盛店であります。

最初の訪問は、この店のウリである「踊る鮨」(主人が握りを置くと沈み込む様)を検証するためでありました。目の前に置かれた握りがいつ沈み込むかと目線を握りの高さまで落として観察したのですが、残念ながらその日は確認できなかった。握りの体調が悪かったのかと、日を置かず再訪して今度は沈み込みを確認したのです。

巷が騒ぐ握りの沈みこみ、要は上に乗せたタネの自重で酢飯が潰れるほど「柔らかい握り」であると言いたいのでしょう。口に入れた途端にハラハラとほどける酢飯が一番と言われていますから、タネの重さに耐えきれず潰れる握りも素晴らしいということか。でもタネ数少なく酒を飲んでの長居が出来ない営業形態から友里の好みと違う店だと感じていたのです。

数年ぶりに訪問したのは昨秋。満席でしたが、隣の有名人夫婦は常連だからかツマミと5ヶほどの握りで早々と退散しておりました。その後に2回転目の客が来たからよいものの、店にとってこんな非効率なオーダーは有名人といえ感心しません。

ツマミの種類は相変わらず少ないながら、サヨリ(細切り)の大葉和えやカワハギ胆和えは美味しかった。烏賊のウニ焼きはイマイチながら、客が全員頼んでいたトロの付け焼きもお酒がすすんで満足したのです。

そして握りへ。米酢の酢飯は特徴がないけど種々のタネを邪魔することのない名脇役か。多くの握りが沈み込む中、沈まない握りを見て私は「踊る鮨」の仕掛けがわかったのです。
主人の大きな掌で握られる鮨、沈むものは嵩が高い。つまり普通の店の握りより背丈が高いので、タネの自重で少し潰れて普通の握りの高さに落ち着くのであります。
沈もうが踊ろうが、食べるときは動きが止まっておりますから関係ない。でも10数個出た握りはどれも悪くはなく、特にヒラメや鯖は印象的で酢烏賊という珍しいタネも面白かった。結構飲んでの支払いが2万円台半ばと、充分満足した次第であります。

キャパが小さくその日に思いついての訪問は難しいとは思いますが、「踊る」ことを抜きにしてもほとんどの方が満足する鮨屋と考えます。

これをトンカツと思ってはいけない、とんき

長引く不景気からの出口が見られない我が日本。すべてがスッカラ菅政権のせいとは言いませんが、無為無策の凡人総理が足を引っ張っているのは周知の事実であります。サラリーマン街の居酒屋の激しい客引きを見るまでもなく、集客に苦しんでいる店が多いのは皆さんもご承知の通り。

そんな世情の中、トンカツ屋としては安くないこの目黒「とんき」を10数年ぶりに訪問し、友里は腰を抜かしてしまいました。
都内でオススメのトンカツ店はないかと探し回ること数ヶ月。上野の御三家や浅草近辺の有名店を訪問しても満足感なし。西麻布の高額トンカツ店もしかり。そこで思い出したのが、この「とんき」であったのです。

昔通っていた当時も盛況。店内カウンター後ろの壁際に、無作為に並んだ客の入店順位をしっかり覚えて次々と指さし指示で公平に着席させていた名物オバサンがおりました。トンカツ自体の出来は記憶になかったのですが、混んでいたのはCPが良かったからではないかと思いこみ、久々の再訪で扉を開けて、以前より凄い熱気に私は圧倒されてしまったのです。

まだ18時過ぎだというのに、1階の壁際どころか、2階へ向かう階段も順番を待つ客だらけ。名物オバサンは見かけませんでしたが、オジサンが同じように仕切っており、やっと席に着けたのは入店して30分以上経過した頃でありました。

ヒレ、ローストとも定食は1800円と安くはない。しかも産地や銘柄の表記がなく最近のブランド志向を無視。ベテラン職人が次々と切り分けたトンカツは、真っ黒な油で揚げ過ぎたからか肉に火が入りすぎで、肉汁らしきものも見当たりません。
はっきり言って美味しくないのです。しかも衣が煎餅のように異常に堅く、肉から剥離しておりました。肉と衣が分離していて、一緒に食べるのに一苦労。これじゃ、衣と肉の調和も何もあったものではありません。肉自体の質がイマイチなのに火入れもやり過ぎでは、ただでさえ旨みに欠ける豚肉のパサパサ感しか感じないではないか。

30分以上並んでまでこの安くないトンカツを食べにくる客がこれほど多いのが不思議。これなら並ばすに入れる他の高額トンカツ店へいく方が、時間と予算の節約になります。

「行列の長い店が美味いとは限らない」、新たな定説を考えつきました。

さらばダノイ

昨年末で、一世を風靡したイタリアンが2店クローズとなりました。1つは昨年末取り上げたエノテーカ・ピンキオーリ。そしてもう1つがこの西麻布のダノイであります。

90年代のイタリアンブームの中、予約困難な店のハシリだったのがこのお店。
雨後の筍のよう増え続けたボナセーラ系イタリアン(何の必然性もない外人を雇用して「ボナセーラ」と雄叫びを上げさせて客の関心を引き、少しでも凡庸な料理からの目眩ましを狙った店)が多い中、郷土色のない日本アレンジながら人気を博したのが小野シェフであったのです。
当時は連日超満員で、物置と化していた小さなテーブルにも当時はカップルを座らせていたほどの過熱感がありました。姿を消した当時のマダムの素人然とした接客も人気があっただけにマイナスにはなっていなかった。
有名なスペシャリテ、キャベツとアンチョビのスパゲッティや地鶏とジャガイモのロースト(ローズマリー風味)に友里も当時は満足したものでした。

東京のイタリアンの実力が上がってきた90年代後半から徐々に人気が落ちたのは仕方がないとしても、大きな転機となったのは高輪の東武ホテルにファミレス並のキャパの支店を出した頃。
小野シェフは新店にへばり付いたため、この西麻布店のクオリティが劣化したのは言うまでもありません。何を血迷ったのか東京ミッドタウンへの出店(既に撤退)は更にダノイの体力を奪うことになったと私は考えます。
昨年12月、有名電通マン・佐藤尚之氏の自己陶酔ブログで年内閉店を知り、私は昼夜と最後の訪問をしたのです。

日曜の昼は閑古鳥。わずか2名の厨房スタッフが造るランチはサラダ、オイルベースのスパゲッティともイマイチ。これでは閉店もやむなしと次の土曜に最後の訪問をしたのですが、名残を惜しむ地元客なのか店内は8割方埋まっておりました。
オーダーしたのは当然前述したスペシャリテ2品。地鶏とジャガイモのローストはボリュームアップして3200円と高くなっておりましたが、20年前の当時を思い出し、懐かしかった。
今後は高輪と八王子の2店で頑張るとのホールスタッフの言でありましたが、支店を増やすとクオリティが劣化し客が減るという、友里定説を証明してくれたある意味貴重な店でありました。