天然記念物が食べられるのか

過食のオコチャマ・来栖けい氏の公式ブログを見てビックリ。天然記念物の「見島牛」を食べたと豪語しとります。7/12付け
http://www.kurusukei.com/
でもこれって雄牛で天然記念物ではないでしょう。
検証精神のないご本人は信じているのでしょうが、本当の天然記念物の牛は「ミシマウシ」と片仮名で表記されるとのこと。(山口県県庁の畜産振興課に確認済み)
実際、天然記念物を食べられる訳がなく、主に雄牛が月に1頭ほど、見島という島から連れ出された瞬間、天然記念物から解除され、それを加工して「見島牛」と漢字表記されて売りに出されるのです。
島に居る間は天然記念物なので、島内では加工できないそうです。
見島で食べられたとしてもそれは島外で加工した雄牛を再び持ち込んだ肉だというのです。
島内に居るときは確かに天然記念物だったので嘘ではないですが、おそらくオコチャマは「ミシマウシ」と「見島牛」の違いを確認していない。
というか、「見島牛」を天然記念物と思っているに違いない。
だいたい彼が絶賛している大田原牛も去勢が多いのですが、和牛で重用されるのは臭みのない処女牛のはず。去勢とはいえ雄というだけでワンランク下がるのが世間の見方だと思います。
そんなことは彼の個人的に親しい炭火焼きステーキ屋に聞けばすぐわかる事なのですけど。

「モウラ」更新しています

漁船のストライキが始まったようです。全国の漁船の9割以上、20万隻が漁に出ていないとのニュースを見ました。
燃料費の高騰で生活が苦しくなり政府への対策要求(援助)としてのストライキ。一般客としても見逃すことは出来ません。
私が不思議に思うのが魚の値付けです。普通、一般客向け(法人向けではない)の製品は、メーカーが勝手に値上げしますよね。最近は玉子をはじめほとんどの食品メーカーや生産者が、原料や燃料の値上がりを理由に勝手に宣言して値上げしています。
ではなぜ魚は燃料費の値上がりを販売価格に転嫁出来ないのでしょうか。
「競り」というシステムがあるのは知っていますが、売る側が「その価格なら売らない」と拒否することは出来るのではないか。
現に、気象条件や不漁で築地の競り価格が上がり、仕入れ価格が上がったと言う話はよく聞きます。気象や不漁で魚が値上がるのに、燃料代で魚が値上がらないなんてことがあるのでしょうか。
もしかしたら、気象や不漁の際も、肝心の漁師さんたちへはその値上がり分は転嫁されず、中間業者の懐にしか収まっていないということでしょうか。
日本は資本主義であります。需要と供給の力関係で価格は決定されるシステムですから、普通に考えれば燃料代の転嫁は客側の「需要」がありさえすれば簡単に転嫁できると思うのです。
何かの圧力で燃料代の転嫁が漁師サイドに出来ない理由があるのでしょうか。
仮に最終的な築地など市場での中卸の販売価格が上げられないとしても、割を食うのは漁師ではなく、「卸業」などの「中間業者」であっても良いわけです。しかし、燃料代の高騰で、漁師以外、つまり「中間業者」が苦しいなんて話、私は聞いたことがありません。
誰のおかげで生業を立てているかと中間業者に聞いたら、「漁師」か「お客」と答えると思うのですが、なぜその「漁師」だけが苦しくてストライキを打つのか、本来なら「中間業者」こそストするべきではないか、と日本のこの流通システムに私は疑問であります。
こんなことを書くとまた新たな層からのお叱り、反発をいただくかもしれませんが、友里の純粋な疑問の提起であります。
さて「モウラ」に、何かの間違いで2つ星をとったとしか思えないフレンチ「エメ・ヴィベール」をアップしております。
雰囲気だけの店だと思うのですが、皆様はいかがお考えでしょうか。
ぜひお立ち寄りください。
http://tomosatoyuya.moura.jp/

ミシュランの評価システムを再考してみました

相変わらず「モウラ」のコメント欄が炎上に近く、内容も2ちゃん化した投稿が多くなってきました。講談社とサイト管理会社が、よほどの内容でない限り規制はしないという立派な方針を立てている結果でして、これは一種の自業自得と甘んじて受け入れております。
さてそんな変な書き込みの中で、ちょっと考えさせてもらったというか、あらためてミシュランの評価がいい加減だと再確認したキッカケのコメントがありました。

「ミシュランは合議で判断している評価システムなので信頼できる」。

本当にそう信じていらっしゃるなら正に友里が言うところの「純粋な読者」であります。1500店のプレリストから5人だか6人の調査員が1年半で3回から5回も訪問したことになっておりますが、昼夜訪問したとして(夜しかやっていない店も結構ある)、物理的に各調査員が複数回店を訪問することは不可能です。つまり調査員全員でもって複数回行くのが関の山、訪問しないでその「合議」に参加する調査員も多いと言うことです。
そんな合議、意味あると思いますか。
また、仮に全員が訪問していたとしても、味のわからないレベルの低い人たちが何人集まって合議しても意味があるとは思えません。なぜ、ミシュラン調査員に個々のレベルについての疑問が少ないのか。
ミシュランの最大の欠陥は、各調査員の顔というか個性がわからないことです。
覆面でも構わないのですが、5人、6人いるという調査員各人のコメントを発表していないので、その資質がまったくわかりません。どんな判断基準をもっているのか、どんな料理を評価する人なのか、がまったくわからないのです。
もしかしたら、6人もおらず、適当に評価しているだけではないか。ミシュランは肝心な調査員を秘密にして逃げていますが、本当に複数人存在しているのか、まともに調査しているのかも本当のところはわかりません。
私の言動には懐疑的なのに、ミシュランの言うことは頭から信じる方がいらっしゃるのが不思議であります。
味の志向は人それぞれ違います。絶対はないのです。どんな料理が好きなのか、どんな意見を持っているのか、といった評価する人の考えがわかってこそ、自分の意見と対比することができ、結果参考にする事が初めて出来ると思います。
それこそ「どこの馬の骨」かわからない、しかも本当に6人いるかもわからない、そして本当に店へ行っているかもわからない「調査員」たちがいくら集まって合議しても、それを素直に信じるのはあまりに脇が甘いのではないかと再考した次第です。
「調査員はミシュランの基準で選んで3ヶ月研修したから大丈夫」と言ったもの勝ちでその調査力を誇っていますが、誰も第三者的に証明できない内容なんですね。
100年以上前にこのような評価をしたガイドはなく、それはそれで存在価値があったと思いますが、フランス版からして実は元々たいした「評価」をしていなかった「適当なガイド」であった可能性もあるわけです。
それを我々は金科玉条として信じてしまっただけではないか。
同じ合議なら、未だ各人の顔が見える「東京最高のレストラン」の方が、評価結果の信憑性は別にして、利用価値があると考えます。