ミシュランの評価システムを再考してみました

相変わらず「モウラ」のコメント欄が炎上に近く、内容も2ちゃん化した投稿が多くなってきました。講談社とサイト管理会社が、よほどの内容でない限り規制はしないという立派な方針を立てている結果でして、これは一種の自業自得と甘んじて受け入れております。
さてそんな変な書き込みの中で、ちょっと考えさせてもらったというか、あらためてミシュランの評価がいい加減だと再確認したキッカケのコメントがありました。

「ミシュランは合議で判断している評価システムなので信頼できる」。

本当にそう信じていらっしゃるなら正に友里が言うところの「純粋な読者」であります。1500店のプレリストから5人だか6人の調査員が1年半で3回から5回も訪問したことになっておりますが、昼夜訪問したとして(夜しかやっていない店も結構ある)、物理的に各調査員が複数回店を訪問することは不可能です。つまり調査員全員でもって複数回行くのが関の山、訪問しないでその「合議」に参加する調査員も多いと言うことです。
そんな合議、意味あると思いますか。
また、仮に全員が訪問していたとしても、味のわからないレベルの低い人たちが何人集まって合議しても意味があるとは思えません。なぜ、ミシュラン調査員に個々のレベルについての疑問が少ないのか。
ミシュランの最大の欠陥は、各調査員の顔というか個性がわからないことです。
覆面でも構わないのですが、5人、6人いるという調査員各人のコメントを発表していないので、その資質がまったくわかりません。どんな判断基準をもっているのか、どんな料理を評価する人なのか、がまったくわからないのです。
もしかしたら、6人もおらず、適当に評価しているだけではないか。ミシュランは肝心な調査員を秘密にして逃げていますが、本当に複数人存在しているのか、まともに調査しているのかも本当のところはわかりません。
私の言動には懐疑的なのに、ミシュランの言うことは頭から信じる方がいらっしゃるのが不思議であります。
味の志向は人それぞれ違います。絶対はないのです。どんな料理が好きなのか、どんな意見を持っているのか、といった評価する人の考えがわかってこそ、自分の意見と対比することができ、結果参考にする事が初めて出来ると思います。
それこそ「どこの馬の骨」かわからない、しかも本当に6人いるかもわからない、そして本当に店へ行っているかもわからない「調査員」たちがいくら集まって合議しても、それを素直に信じるのはあまりに脇が甘いのではないかと再考した次第です。
「調査員はミシュランの基準で選んで3ヶ月研修したから大丈夫」と言ったもの勝ちでその調査力を誇っていますが、誰も第三者的に証明できない内容なんですね。
100年以上前にこのような評価をしたガイドはなく、それはそれで存在価値があったと思いますが、フランス版からして実は元々たいした「評価」をしていなかった「適当なガイド」であった可能性もあるわけです。
それを我々は金科玉条として信じてしまっただけではないか。
同じ合議なら、未だ各人の顔が見える「東京最高のレストラン」の方が、評価結果の信憑性は別にして、利用価値があると考えます。