東京カレンダー11月号のある特集記事を読んで思わず引いてしまいました。
アサヒプレミアム生ビール〈熟選〉とのタイアップで紹介されていた寿司屋の店名があまりにセンスなさ過ぎだったからです。
まず初っ端をかざったのが「鮨 江戸時代」。麹町にある同名の寿司屋の2号店として築地にオープンしたようです。
うーん、このネーミングを見て行きたくなくなる人がいるでしょうか。高級感のない、廉価な居酒屋チェーンのイメージを与えてしまいそうです。
他にも「すし処 長崎出島」なんていう寿司屋もありました。長崎の食材を使った店のようですが、「肉じゃが」まであるようで純粋な鮨好きに向いているとは思えません。
掲載記事だけで勝手に判断するなとのお叱りを受けるといけないので、早速行ってきたのがこの築地の「江戸時代」であります。
東銀座から徒歩で5分くらい、近辺には「すし好」など気軽に食べられる寿司屋が多い激戦区でありました。
高級感はないですが、明るい店内は料理長(こう呼ばれていました)とスタッフ数人の割には結構大箱。
コースは3千円から5千円までで、突き出し、刺身、焼き物などの小料理の後、握り寿司が出てきます。
握りに行く前の小料理が結構ありましてお腹はかなり満足する総量。肝心の料理ですが、この価格ではまずまずではないか。手をかけて出汁を引いているわけではなく、驚くようなタネ質でもなく、冷凍物も紛れ込んでいたと思いますが、熟選に日本酒を結構飲んで7千円前後(5千円コース)。下手な回転寿司や行列のできる街場の寿司屋でもこれくらいかかりますから、それよりはましだと感じました。
客入りがいま一つな理由は何か。やや晴海通りより引っこんだ立地でありまして、フリの客はその手前の目立つ寿司屋に入ってしまうことが一番だとは思いますが、この店名も決して集客の助けになっているとは思えません。名は体を表すと考える人が多い以上、やはりネーミングには充分気をつけたいと考えます。
あの小野二郎さんも「二郎」では恰好がつかないから「次郎」にした、と何かの記事で読んだ記憶があります。ネーミングは料理や価格とともに大事な要素であります。
センスのない店名で損していないか
ミシュラン調査員は口が軽いのだろうか
友里のところにはいろいろとミシュランの調査員の情報が入ってきます。先日取り上げた学芸大学「S」では掲載が決まる前の訪問時から名乗ってしまったと聞きました。
フランスでも調査員は最後に名乗るとのご指摘メールを何通もいただきましたが、その前から名乗るのはいかがなものか。掲載を決めていない店で毎回名乗ってしまっては、業界中に顔が知れ渡ってしまうでしょう。覆面取材も何もあったものではありません。
また、和食に無理にワインを合わせることも避けていただきたい。近くの酒屋で購入してそのまま合わせて飲んでいる調査員がいるとしたら、それはまったくのノーセンス。和食だけではなくワインの知識にも乏しいと考えます。
驚いたのは掲載されるジャンルではない店での彼らの会話です。気を許したのか自分たちがミシュラン調査員であることを語っていたと近くにいたという人から漏れ聞きました。
何でも3つ星から「ロブション、デュカス、ガニエールははずせない」と言っていたとか。これでは結論が最初から決まっているではありませんか。
経営姿勢やサービスを除いて料理だけならロブションは3つ星に値すると私も思いますが、ベージュや最近のガニエールが値するのかは賛否の分かれるところのはず。ミシュランの常連・ビッグネームというだけで結論が決まっているとしたら残念であります。
だいたい、この時期に東京版を発売すること自体が疑問。ガイド本や評価本が氾濫している東京で、ミシュラン独自の評価を示すことが難しいならば、わざわざ買ってまで読む価値があるのかどうか。
巷の評判や他のガイド本、評価本と真っ向食い違う評価をする冒険はできないでしょう。和食や鮨の評価もしなければならず、そのジャンルでの彼らの評価力は広く認められていないからです。
さりとて今回漏れ聞いたようにビッグネームにすんなり3つ星を与える予定調和では他のガイド本とまったく違いがでません。
業界に伝わっている調査員の言動が本当なら、その資質は知れているというもの。
果たして「さすがミシュラン」というべき内容ある本が出版されるか、期待外れに終わるか、友里は発売日を楽しみに待っております。
過去のネット情報が消滅している服部幸應先生
タイミングが悪かったというか本人には最高だったのでしょう、安倍元首相の「無責任辞任」のおかげですっかり服部幸應先生の「家柄偽装」が埋没してしまいました。
実妹も含めて服部先生が各出版社から広く本を出していたこと、TVもNHKを含めて各局に出演していたこと、などからこの業界の暗黙の掟というか、問題視して後追いする雑誌やTV局が少ないことは当初からわかっていたのですが、日刊ゲンダイ、週刊文春、女性自身の1紙、2誌だけの掲載で終わったことは先生にとって願ってもないことであったと思います。
これらの記事の後だと思うのですが、ネットで服部先生の家柄偽装を示す物がどんどん削除されて読めなくなっているのが気になる点であります。
読売新聞で昨年11月に掲載されていた「カラスミ記事」、削除されているようで、「カラスミ」、「服部」、「読売」で検索しても出てきません。魚拓をとっていて良かった。
9/23のブログで書きました、アーカイブからの服部栄養専門学校の沿革、もう見られないようになっております。これも魚拓を取っていたのですが、文字化けからエンコードで変換できなくなってしまっております。一応紙に打ち出していたので証拠は残っているんですけど。
読者から教えられた2ちゃんの「料理家・服部幸應が名前と経歴を詐称?本人直撃」といったスレ、わずか数日で940チョイまでレスが付きましたが、1000にたどり着く前に閉鎖というか読めなくなっております。これまた不自然。
友里に関するスレではかなりの罵詈雑言が並べられているようですが閉鎖なくどんどんスレが更新されていることから、何らかの働きかけがあったとしか考えられません。関係者に「友里スレ」を閉鎖する手法をお聞きしたいものです。
そこで友里は絶対に消せない過去の記事を確認してきました。やはり読者の方から聞いたのですが、1990年に発売された月刊誌「月刊 専門料理」。有栖川の図書館で1月号から12月号まですべて閲覧してきました。
1ページつかった服部栄養専門学校の宣伝で、「服部学園は、戦国時代(1561年)古い伝統に培われて料理の教場として発足。依頼、明治18年(1885年)に家庭料理の教場として・・・」としっかり生徒募集の「釣り文句」に用いていたのです。服部先生の発言に「そのことを謳い文句に学生を募集した覚えはない」と週刊文春にありましたが矛盾しておりました。勿論1時間待ちましたがいくつかコピーしてきております。
仮に服部茂一氏から染谷栄氏(先生の実父)が料理学校を本当に継承していたとしても、茂一氏の先祖は1561年から料理の教場にたずさわっていたのでしょうか。茂一氏が普段からそのように触れまわっていたのでしょうか。
過去のネット情報などが消えてしまって一般読者の記憶からは消えてしまうかもしれませんが、先生はTV関係者などにかなり家柄自慢をしていたようですから、岸朝子氏など同業者の驚きとその記憶は無くならないと考えます。
一般読者より同業者、業界人に対して今回の報道は影響があったと考えます。