店評価ブログを更新しています

友里掲示板、久々にエロサイト誘導ではない書き込みで盛り上がっております。
でもイジリがいのないKYなアンチの方とのやりとりを控えていたら、いつの間にか

負けて逃げた

と烙印押されてしまったのには驚きました。外食の経験や興味がない方がアンチ化してしまった場合、議論はまったく噛み合わないのです。しかも皮肉もイジリもKYなのか通用しないのかスルーされて反応なし。一つ覚えで挑発的な書き込みを続けてくるのですから友里として面白みがまったくありません。負けは負けでも正確には

根負け

ではないでしょうか。
しかしアンチは友里の言動が1つ1つ気に入らないのでしょうか。面倒だからこちらで反応させていただきますが

現に最近の欧州では、低温ロースト離れ、ソース回帰であります

との友里に対し

年末年始でパリ行って何回か食っただけで

との批判書き込み。でも年末に食べただけ(年始はイタリアへ移動)ではないんですね。少なくとも昨年は11月にも行っておりますし、ここ数年、年に複数回訪問しての結論なのであります。逆に

増殖し続けるパリのビストロ、ソースなし、低温を出している店ありますか

との問いかけにはまったくのスルー。現在一所懸命検索中なのかわかりませんが、経験少ない人やよく知らない人が、

言葉尻だけとらえて突っかかってくるのに対応するのが一番難しい

とあらためて認識した次第であります。
知名度ないとはいえ友里サイトを訪問される方は外食好きな方が主体と思っていたのですが、ノイジーマイノリティなのかわかりませんがそうではない人もいらっしゃるとわかった次第であります。

さて久々に盛り上がっているお題は

ソースなし&低温調理

に関するものであります。カンテサンスに対して

ソースを必要としない低温(長時間)ローストしか出来ない

と書いたことに腹を立てた方がかなりいらっしゃったようです。
以前からことある毎に

ソースが造れないシェフ

と言ってきましたが、誤解を受ける可能性があると気づいたのであらためて言い直すことにします。ソースが造れないのではなく

まともなソースが造れないシェフ

であります。ド素人の友里だって、どんなレベルでもよいなら自称ソースはつくれるわけです。面白い引用が掲示板にあったので転載します。Invitation 2007年5月号に掲載された岸田シェフの発言のようです。

あっちに行っていろんなシェフと会って、パスカルが一番現代的な料理を作っていた。彼の考えでは、「ソースはおいしいっていうのは知ってるよ」と。でも、ソースがおいしすぎて、素材よりもソースがおいしいのはもったいないんじゃないかと。
素材がよくて、塩と火加減がしっかりしていればおいしいだろう。
素材を尊重するなら、ソースが旨すぎちゃいけないんじゃないかと。
彼はよくいっていたんですね。
そういう考え方に触れているうちに、僕もちゃんとした素材があるなら、きちんとキュイソンしてやればいいという考え方になってきた。
今の僕はソースの素晴らしさも、パスカルのやり方も理解しているけど、どちらかを選ばなくてはならない。混ぜる事はよくない。
料理にはコンセプトが必要なので、いいとこどりというのはできないと思います。だから僕はより現代的なほうを選んだ。

ここで岸田氏のレトリックに気づく人はどのくらいいらっしゃるでしょうか。確かに素材がよければ、塩と火加減をしっかり管理して調理すれば美味しいのは誰もが認めるところ。(ヒレステーキの「かわむら」は塩胡椒しませんが)
しかしだからといって

ソースがおいしすぎて、素材よりもソースがおいしいのはもったいないんじゃないかと。

このように結論づけるのはおかしいのではないか。高額店なら美味しいソースに負けない素材の使用というものを考えないのか。食材を更にいかすソースを造ろうと思わないのか。換言すれば

自分の店で使用する素材は自分が造れるソースに負けるレベルです

自分は素材をいかすソースが造れません

と岸田氏が言っていると友里は受け取るのであります。

素材を尊重するなら、ソースが旨すぎちゃいけないんじゃないか

と岸田氏は言っております。しかし私は彼が

素材の良さを消してしまう味の強いソース = 旨いソース

と勘違いしているのではないかと思うのです。
よいソースとは素材と共存できるもの。質の高低にそれぞれあったソースというものが存在するのではないか。

確かに質の悪い食材に使うソースは、素材の質をごまかせるもの(味濃いソース)が必要でしょう。居酒屋や廉価な和食店の味付けが「濃い」のと同じであります。
しかし、質が高い食材や個性ある食材の場合は、食材の良さを更に引き出すソースというものがあるはず。癖のあるジビエ、たとえば

フランス産の野ウサギを塩で焼いただけで食べられるのか

確かに牛や豚(カンテサンスでは鴨も出ますか)は塩胡椒で焼いただけで食べられますが、ジビエなどの食材は焼いただけでは食べられたものではありません。つまり塩胡椒しかしない調理の店では扱う食材が限られてしまうんですね。
やっかみもあるでしょうが、同業者から

岸田シェフの引き出しは少ない

と言われてしまうのはここにあるのであります。
カンテサンスで「野ウサギのロワイヤル」を食べた人がいるのか。いや焼き物以外のメインを食べた人がどれほどいるのか。(友里は一度煮込みを経験しております)

友里はなぜフレンチにだけ、ソースなし塩だけ長時間調理オンリーが許されるのか不思議でなりません。
たとえば「京味」や「もりかわ」が

素材を尊重するなら、出汁が旨すぎちゃいけないんじゃないか

と主張して

出汁を使わない料理

ばかり出してきて、果たして有り難く通い続ける客がいるでしょうか。
何事も極端はいけません。

素材が負けるのを気にしてソースを一切造らない

はあまりに偏った、と言うか自分勝手な論理。掲示板ではフランスで今や長時間ローストに出くわすことはないとまでおっしゃる方も出てきております。

だから僕はより現代的なほうを選んだ。

2007年には現代的と思っていたようですが、最近岸田氏はパリへ行っていないのか。

低温ロースト、既に世界では時代遅れだと思います。
それしかできない、若い日本の料理人は今後どうするのでしょうか。

との書き込みもありました。増殖するパリネオビストロで

ソースなしのメインがどれほどあるのか

友里は大いに疑問。いや3つ星にハードルを上げたとしても、アストランス以外で

ソースを一切出さない店

があるのかどうか。友里は再度問いたいのです。

ソースを封印してしまったため、使用食材の選択肢がほとんどない店にそれでもあなたは行きたいですか。

直近の友里掲示板に、面白い書き込みがありましたのでURLを貼り付けます。

http://tomosato.net/test/read.cgi/bbs/1331213757/91-94n

さてイントロが長くなりましたが店評価ブログに、グランハイアットのオールダイニング「フレンチキッチン」と恵比寿の廉価フレンチ「レスパス」をアップしております。
お立ち寄りください。

 

 

 

高額予約困難店が増殖中

飲食店業界は相変わらず「勝ち組」と「負け組」にわかれる二極化なのか。最近は

次の予約は数ヶ月先

という、閑古鳥の来襲に堪えている多くの店にとっては信じられない店が増えてきております。しかもそれらの店はほとんどが客単価2万円円以上の

高額店

でありますから、閑古鳥常連の廉価な店主には羨ましい限りではないでしょうか。代表的な店を東西で挙げると

鮨 三谷と祇園 川口

でありましょうか。「鮨 三谷」はたまにこのブログで取り上げるように、店で再訪の予約を入れても夜なら

11ヶ月先

と海外旅行よりスケジューリングが難しいのですから呆れます。食べログに載っているので紹介制でも書いちゃいますが、この「祇園 川口」も

10ヶ月以上先でないと予約が入らない

と聞きました。昨年久々に訪問しましたが、女将と主人の間合いは健在。あの「新ばし しみづ」(旧店名 鮨処しみづ)の主人も未だ通っているのでしょうか。
1年近く待たされても行くべきかどうかは個人の判断でありますが、これはある意味

異常事態

と考えます。もともとは亡き「エル・ブジ」が諸悪の根源。巧妙な予約システムである

予約受付日(時間帯)の制限とリピーターには優先的に予約を入れるという優遇

で予約困難店を造り上げてしまった。そしてそれを真似るかのように日本にも予約を制限する店が出てきて高額な予約困難店が増殖してしまったのであります。
ざっと思いつくだけでも上述の2店のほかに

かわむら、京味、くろぎ、 啐啄 つか本、未在、鮨 さいとう、カンテサンス、あら輝

などなど。最近は特にこれらの店の予約が取りにくくなったようで、数ヶ月先に入っていた予約が

半年先

まで入らなくなった店もでてきました。 友里は年に数回、主にフランスやイタリアの星付き店(3つ星も)を訪問しておりますが、せいぜい2ヶ月前に充分予約が入る現実をみると

日本は異常としか思えない

のであります。これはひとえに「予約困難」ということ自体に行く価値を見いだす(釣られる)

友里みたいなミーハー客の存在

が問題。極端な話、満席偽装や身内を使えば短期間は満席を装えますから、そのような店のすべてが

美味しい店、行く価値のある店

とは限らないのであります。逆に簡単に予約が取れる店でも美味しい店があるという現実。たとえば

もりかわ

同じ紹介制でありながらも、この店が予約困難と感じたことはありません。鮨でも「さいとう」と大差ない食後感の店として同じグループの

真魚

があります。ここはおそらく、その日の飛び込みでも入店できるのではないでしょうか。フレンチで言いますと、

セゾン、アピシウス、レカン、シェ・イノ

などは、ソースも出て予約が簡単でありますから

ソースが出なくて予約困難なカンテサンス

へ行くより賢明なのではないか。ステーキでいいますと「かわむら」が予約困難で訪問は至難の業と言われておりますが、河村氏が店長をやっていた「ゆたか」は簡単に予約が入ります。この違いはどこから来るのか。

友里のように、仕事としてネタ探しでこのような予約困難店を訪問するのは仕方ないとして、一般客がわざわざ数ヶ月先、半年先の訪問を目指すものなのか。
すべての店とは言いませんが、これら予約困難店のいくつかは

単なる小キャパや演出

で造り上げられた可能性がるということを、一般客は理解するべきでありましょう。
換言しますと、「グルメの嘘」(新潮社)や「グルメの真実」(宝島社)でも書いておりますが、

大箱は廉価店でしか通用しない

のであります。その廉価店でも最近は小キャパ化しておりますから、大箱で集客に苦しんでいる店は小キャパ化のため移転を考えるのも良いかもしれません。

 

 

久々に店で友里征耶の名を聞いてしまった!

先日、久々にある飲食店で

友里征耶の今日のブログには・・・とあったよ

と店主たちに大声で話しかける客に遭遇してしまいました。思えば以前はこの手の客にたまに遭遇しておりましたっけ。

隣客から「友里征耶」ってどう思うと聞かれてしまった
隣客と店主人が友里征耶について「文句があるなら店に直接言えばよい」と話し合っていた

などなど。まあ面と向かって聞かれても

ああ、あの覆面辛口ライターの人ですね

くらいしか返すことはできませんでした。まさかそこで「私がその友里征耶なんですけど」と言えませんし。また

文句があるなら直接言え

アンチや店側がよく使う友里征耶批判でありますが、評論対象者に評論を直接語ってしまったら

評論家としての商売が成り立たない

のであります。政治評論家や映画評論家たちが政治家や映画会社にだけ評論を語るだけでは

単なるアドヴァイザー

であります。広く一般に語る(その評論を買ってもらう)ことが評論家のビジネスモデルなのですから、それをやめろというのは実際のところ無茶苦茶なのであります。

メーカーや産地から直接買えば良い

となれば、世の商社や農協は壊滅します。
また何でも直接やってしまっては

司法書士や行政書士

の存在も無意味。でも実際にはそれなりの

メリット(存在価値)

がいくらかあると思う人がいるから、この手の商売は残っているのであります。
話は反れましたが、久々に自分のペンネームを店で聞いた友里、

昔と違って滅多に店で自分の悪口を聞くことがなくなってしまった。賞味期限が切れかかっているのか

と心配になったのであります。自分では少しずつ階段を登っているといいますかメジャーになっていると妄想していただけに、もう飲食店では話題になっていないかもしれないと知ってショックを受けたのであります。
悪口を言われるのは誰でも嫌かもしれませんが

悪口さえ言われなくなる

のはもっと辛いことかも。そういった意味では、友里征耶から

根拠のない悪口を書かれた(痛いところを突かれた。本当の事を言われた)

とキレる料理人や店経営者達。しか~し

言われるうちが華

であると考え直した方が良いかもしれません。
そういえば、最近は店からのクレームもめっきり減ってしまったというかほとんど皆無。店や関係者と最後に揉めたのは昨年7月の

鮨 嘉瑞(敢えてフリガナはふりません)での追い出し

くらいか。そういえば銀座の「あら輝」がロンドンへ移転する際、その跡地に「鮨 嘉瑞」を復活させると聞きました。
祇園への移転は、仲介業者の問題か何かで断念したとの話が関西の業界で噂になっていただけに

1年で上野毛閉めたばかりで、なぜまた再び銀座へ戻るのか

と驚く人は多いのではないでしょうか。江戸前鮨の職人も

いつかは銀座

と憧れる鮨激戦地。果たして大阪鮨が銀座で立派に通用するものなのか。出入り禁止の身である友里の訪問は難しいですから直接の取材は無理でしょうが、その結果が楽しみであります。

そういえばすっかり忘れておりましたが、ブログでも書きました「鮨 嘉瑞」店主から言われた

訴訟を考えている

との通達。すでに7ヶ月経ちましたがまだ提訴状が届いておりません。相当忙しい代理人(弁護士)に提訴を依頼してしまったのでしょうか。
相変わらず株投資で損をし続けている友里、弁護士費用の捻出が厳しいですから

毎日ビクビクしながら裁判所からの送達を気にしている

のであります。還暦間近の他称年配(自称中年)にこの仕打ちは非常に厳しい。はやくすっきりしたいと願っております。