来週から日刊ゲンダイのコラムが再開します。それにともないまして、来週土曜からは「店評価ブログ」が復活します。
そこで本日は最後の番外編としまして、有料メルマガで好評だった「出禁物語」の中から、あまり発信していない京都の「川口」を紹介します。
知る人ぞ知る、超予約困難な京都は祇園の高額和食店。友里が最初に訪問したのは友里がデビューし立ての頃か。
読者から
あの「ベカス」の渋谷シェフも若い女性を連れてポルシェで通うほどブレイク寸前の若手和食屋が祇園にある
と教えられてミーハーの友里は興味を持ったのであります。
当時はブレイク寸前といってもいとも簡単に予約がとれまして、しかも紹介制のハードルも低かった。電話でその読者の名前を出しただけで、あっさり数週間後の予約が入ってしまったのであります。
今では客単価が3万円を超えると漏れ聞きますが、確か記憶によりますと当時は
酒代入れて2万円弱
料理は「一よし」出身だからか創作系でありまして、傑出さがあるとは思えませんでしたが、寡黙な主人とおしゃべりの女将だけが対応するわずか6席あまりの狭い空間。
まさにサロンの雰囲気でありまして、この手の店に弱い関西人にはウケる店だと確信したのであります。
まずは「一よし」の友里評価をご覧ください。古いものですが・・・
http://tomosato.net/kako/cs956.html
http://tomosato.net/kako/cs957.html
関西人、特に大阪人の気質から、料理店の求められるのは料理は二の次で、問題は如何にその店で自分が上客然と振る舞えるかどうか。これが関西で高額店が生き残れる条件なのだそうです。
それから年に数回は訪問したでありましょうか。
何回かの訪問で店主が
六本木与太呂(自称天麩羅店)の次男
であることがわかったのであります。休みをとって夫婦で東京の外食巡りをしていたことからこの友里と
店情報の交換
もしていましたっけ。
料理代は徐々に値上がっていったのですが、頻繁ではないけど訪問を続けていた友里に転機が訪れたのは例の「しみづ」の出禁事件から。
この「川口」の帰りに女性連れを「しみづ」に目撃されたことから端を発して「川口」に出入りしていた「しみづ」(仲がよかったみたい)と衝突。
ブログなどで「しみず」の度量の小ささ(逆に体はデカイ)を発信したのが「川口」の機嫌も損ねたのか
予約の電話をしても「一杯」だとかで予約が入らなくなった
のであります。いつなら空いているかとの問いかけにもまともな返事が返ってこなかった。
これは避けられている
と気付くのに時間はかからなかったのであります。
もう二度と行くことはできないと思っていたのですが、運良く(?)関西の食べ仲間の貸し切りに潜り込めることになったのは数年前でありました。
主人や女将は覚えていたようで(当然友里とバレていた)、そんなに拙い雰囲気ではなかったのですが翌日だったか、新幹線の都合で先に帰った友里に関西食べ仲間から電話がかかってきたのです。要約しますと
もう来てくれるなと言っている
表向きの理由は、
祇園というイケずの街では、よそ者は目立たず静かにに営業していきたいから
友里が寄りつくと静かに暮らせなくなると言うことでしょうか。しかしこの友里、マスコミ露出をしていない紹介制の店は原則取り上げないんですね。
この「川口」も実名を挙げて評価していなかったので、友里が通っても平穏無事に暮らせるはずなんですが、1つ思い当たることがあったのです。それは
「川口」の実家(六本木 与太呂)をバッサリ斬っていた
http://tomosato.net/weblog2/?p=187
「川口」との関係は書いておりませんが、この評価が出禁状態の真の原因だと友里は思っているのであります。
出禁になったので悪口書いたと言われたくないのですが、現在は客単価が3万円を超えているのではないか。
よく言われる京料理の定義として
牛肉料理を出さない
から考えますとこの「川口」、現在は立派に
京料理から逸脱している
のでありますが、この原因は鶏と玉子の関係と同じでありまして
客単価を上げたいから肉料理を出すようになった
もしくは
肉料理を出したら原価が上がって客単価も上がった
誰が考えても客単価上昇の原因は前者であると思うのですが、今でも足繁く通う常連客が後を絶たない「料理 川口」。
この営業戦略(紹介制でハードル高くし1年先まで予約を調整)は「鮨 三谷」や「かわむら」にものの見事に引き継がれて両店とも大成功。「川口」の若き店主は
素晴らしいビジネスモデル
を作ってしまったのであります。
最近の情報では、主人と女将も関係が微妙なものになっているという話もあります。