つい最近、私と膝詰めて話し合いたいという料理人と、中立の立場であるその店の常連(私の知人でもありますが)の立会いのもと深夜話し合いを持ちました。
特定されることを避けるため、店名やジャンルは敢えて書きませんが、マスコミにも頻繁に登場する人気料理人。どうせクレームだろうとは予想していたのですが、彼の話はまったく私の想定外のものでした。
彼の主張を簡単に記してみましょう。
私の本やブログは読んだことない、と前置きしておきながら、「私の周りには『友里征耶はどんな奴だ』と探っている仲間がたくさん居る。落合さんの誕生パーティーには150人も集まるんだ。あなたは・・・(具体名)に住んでいますね。子供を含めて家族の顔も知っている。こんな事を続けていたら、お子さんがどうなると思っているんだ。料理人は色々いるんだ。子供に何をされるか心配なら、まず謝って今後こんな活動をするのを辞めることだ」
おいおい、こんな事、第三者の立会いの前で言ってしまって大丈夫なのか、と私はまず彼の脇の甘さに驚きました。どう聞いても、子供に危害を加えられたくなかったら謝って引退しろ、という立派な「脅迫」であります。証人になりえる立会人の前で堂々と非合法に脅すその神経というか非常識に驚きましたが、それと共に呆れたのが「本やブログを読んだことない」とのフレーズです。
私の書いたものを読みもしないでよく文句言ってくるな、と。店の事をネガティヴに書かれているとの常連からの情報で頭に来てコンタクトしてきたそうですが、これってありか。
文句つけるなら、せめてその部分だけでも最低読んでくるべきではないか。友里征耶が店で食べないで本やブログで評価するようなもんではないか。そんなことしたら、烈火のごとく怒るだろうに。
本くらい立ち読みしてでも、私のスタンスや性格を理解していたならば、乗り込んできてこんな恥かかされなかったと思うんです。威勢よく脅したはいいが、私の反撃で尻つぼみになって黙り込んでしまったからです。
また、勝手に名前使われた「ベットラ」の落合務さんにも迷惑がかかるというもの。落合さんまで私の家族に対する脅迫に加わっているようにも受け取れる発言内容だったからです。まさか、レトルトでも儲けて絶好調のあの落合さんが現状の生活捨ててまで、売れない友里への「脅迫」に加わるとは思えません。
「グルメバトル」に書いてありますが、料理人は自分のバックに大勢いるんだということを示して圧力をかけたがるようです。「しみづ」の清水氏もそんなことを私向けの自筆の手紙に書いてありました。立会人の前、自筆の手紙と、どうやら料理人は証拠を残すことに無頓着のようです。
私の写真をグループ店内に張って何時来てもわかるように手配していると電話で言っていたので、「盗撮ではないか」と迫ると、「友里さんが偶然店前を通り過ぎたとき、雑誌社が取材で店構えを撮った写真に写ったので貰っただけ」となんとも子供じみた言い訳をしてきました。「そんな写真なら私の顔がはっきり判るはずがない、見せてみろ」、「なぜ住んでいるところを知っている。住所なんか教えていないぞ。お宅の店は客を尾行するのか」、「子供の事を出して脅すのは立派な刑法で言う『脅迫罪』が成り立つことを知っていて発言しているんだな」、「私の個人情報を他の料理人に漏らしているようだが、それは営業上知りえた情報なので『個人情報の漏洩』になり店の信用問題になるぞ」と迫ったら、ダンマリを決め込んでしまいました。反論できません。もう少し、社会通念を備えてから、マスコミに登場すべきではないでしょうか。
なぜ彼は高飛車に脅してきたのか、彼の口からやっと訳がわかりました。以前も店を批判したライターを呼びつけて謝罪を勝ち取ったそうなのです。
本人が自慢して言っていたのですが、あの「大谷浩己」さんを呼び出して一発かまして〆上げたとか。それに味しめて、私に談判して謝罪させようとしたのでしょうが、彼に尻尾を巻いた大谷浩己さんほど私はヤワではなかったということです。
しかし、髭生やして体も態度もデカい大谷さんですが、呼びつけられて尻尾を巻いたとは情けない。
ここでやっと私は長年抱いていた疑問が解けたのです。
「東京最高のレストラン」、大谷さんが仕切っている役に立たない似非評価のガイド本ですが、いつの間にかこの料理人の店を掲載しなくなってしまっていたのです。埋没どころか今でも超人気店でマスコミに頻繁に登場しているのに不思議だったんですが、大谷さんが締め上げられて触れなくなったんですね。これほど大谷さんが「ヘタレ」で、そして出版社も逃げ腰の会社だとは思いませんでした。大谷さんにしては珍しくかなり厳しくこの店を批判していたのですが、締め上げられて自分の発言を封印してしまったようです。
アンチ友里征耶の方々は、この経緯は友里の一方的なもので信じられないと言うでしょう。事実をそのまま書いたのですが、話し合いの最後でもし私に言いたいこと、また反論があるなら、いつでも原文そのままブログに掲載するとその料理人へ通達しております。私が握りつすことを心配するなら、立会人を通して提出してくれ、とも言ってあります。でも2週間ほど経過しましたが、未だその申し出はありません。
現在、料理人の店経営者は全面的に彼の言動に対して謝罪されていますので、今の状態に変化がない限り、今後も店や料理人の実名を公表することはありません。
しかし私は言いたい。文句つけるなら、せめて私が書いたものをじっくり読んで来い、と。私が食べずに書いたら怒るでしょ。
また、彼らの言い分に「勝手に悪く書かれた」というものがあります。マスコミやヨイショライターの持ち上げで勘違いしてしまった典型的な発想です。
一般読者は、自分たちの了解なく勝手に「べた褒め」された記事内容を金払って読まされている現状をご存知ではない。ヨイショライターや雑誌社に、読者は「料理人や店との癒着」、「不必要なヨイショ」、「べた褒め」、「過大評価」を許してはいないのです。
彼らが、勝手に「褒められた」ことは容認し、勝手に「悪く書かれた」ことだけに怒るのは「いいところ取り」ではないか。勝手に書かれるのが嫌ならば、べた褒め、辛口に関係なく拒否するべきでしょう。私はマスコミに露出していない店、取材を拒否している店については入店してもコメントはしていません。料理人はもう少し相手のことを、住所や家族など個人情報ではなく、主張やスタンスの調査をして勉強してから文句なり脅すなりしてきてもらいたいものです。
文句言うなら本くらい読んで来い
店評価を追加しました
日刊ゲンダイに先週掲載された3店、「伊勢廣 京橋本店」、「六本木 浜藤」、「メゾン ド ウメモト 上海」をアップしました。お暇なときに立ち寄ってください。
上海蟹をあの新世界菜館で
今年もあと1ヶ月になってしまいました。歳をとるにつれて加速度的に1年の経過を早く感じるようになりました。
小山薫堂さんが言っている「一食入魂」、残された食事回数は有限なのですからその考え方は否定いたしません。私も段々とそんな意識をするようになってきました。だからといって、彼が無駄な店へ繰り返し訪問し店をヨイショして訪問自慢するのはいかがなものか。限られた回数なのですから、本当に良い店だけに行きたいならもっと厳選するべきでしょう。私には「良い顔」ができる店、彼にとって「居心地」の良い大事にしてくれる店だけを選んでいるとしか思えません。売れ出してから急激に食べまくっているのでしょうが、いかんせん土台ができていない。業界人、文化人共通ともいえる「ホントは味がわからない」人。自分だけ無駄な店へ行っているならいいですが、それを一般読者に宣伝してしまって混乱させているのですから罪作りです。
さて、秋から冬にかけて楽しみな食材がどんどん登場してきました。キノコ、蟹、ジビエ、フグなどなど。皆さんはもう食べられましたでしょうか。
「グルメバトル」出版のため食べまくった夏の反動からか、財政逼迫もありますが私の外食ペースが低下してしまい、今秋、私はこれらの食材をはあまり楽しむことは出来ませんでした。(フグや蟹はまだシーズンが残っていますけど)
そんななか、元々あまり好きではない「上海蟹」、今年は「ウメモト」で食べたくらいだったのですが、先日初めてある会の主催でこの「新世界菜館」へ行ってきました。この店は上海蟹の日本への流通の元締めで、自店で独自に紹興酒も輸入していると言われている有名店であります。比較的リーズナブルに食べられると言うことでも有名なようですね。
流通のおおもとですから、さぞや美味しい上海蟹が食べれると期待して訪問した友里だったのですが、またもやその甘い期待を裏切られる結果となりました。
HPやその店外観をみると、上海蟹以外、つまり他の中国料理を期待する人がそうは居るとは思えません。なんとなく垢抜けないんです。個人客より宴会を重視する営業も気になります。
さて着席すると目の前に活きた上海蟹が人数分置いてあるではないですか。自分の食べたい蟹を選んで名札を客に付けさすパフォーマンスなのですが、意味があるのか。すべての蟹を手にとって比べることが出来るはずがありませんし、第一手にとっても一般客はわからないでしょう。無駄な儀式だと考えます。
肝心のお料理。最初に出てきた旬の8種の冷菜で期待は萎んでしまいました。トマト、タケノコ、クラゲ、海老、鮎などですが、レベル的には中華弁当のおかず並。安い中華おせちを食べたようなもので、ぜんぜん美味しくありません。上海蟹ミソとフカヒレのうま煮も、旨みではなく甘いだけ。ミソの旨みをまったく感じません。
メインである上海蟹の姿蒸もどうってことないもの。大きさも期待しほど大きくなく、これなら「ウメモト」の修業先、「シェフス」の方が上でしょう。前々から疑問なのですが、ミソやコは別にしてこの上海蟹の身は本当に美味しいものなのかどうか。小さいものですからじっくり味わうことも出来ません。毛蟹や松葉蟹のように身に旨みがあるのかどうか。昨年夏、読者に教えられて福臨門で「黄油蟹」を食べましたが、鮮度の問題か期待が大きすぎたからか、珍しさもあり上海蟹よりは楽しめましたがそれほど美味とは感じませんでした。
銀杏と地鶏の炒め物、白菜とシイタケのステーキ、特製流麺など化学調味料に頼りきっていない調理のようでしたが街場の中華と大差ない食後感。最後の杏仁豆腐が一番印象に残りました。
はっきり言って私的には再訪はあり得ない店。食材的にも今年の上海蟹はこれで打ち止めとします。
でもにぎわっているんですから不思議です。