あの犬養裕美子さんが方針転換?

読者の方々から、「カーサ ブルータス 7月号」のフランソワ・シモン氏と犬養裕美子氏の企画物の感想をぜひ聞きたいとのメールをいただきました。二人が日本の☆付き系レストラン(フランス、イタリア、スペインなど本店が星付きで日本へ進出している店)を訪問しての評価を書いているのですが、その中で犬養氏のコメントを見てひっくり返りそうになりました。
自身の著書「東京ハッピー・レストラン」などでクレジットカードを使用しないことを読者に呼びかけるなど、犬養女史は店側の代弁者としか思えない似非ジャーナリストだと思っていたのですが、この企画ではまったく方針転換、各店のサービスや料理構成についてかなり厳しく指摘をしております。有名店は何でも絶賛のスタイルを変え、文体は違いますがなんだかこの友里の指摘を見ているように感じてしまいました。
例を挙げますと、「ポール・ボキューズ ミュゼ」では、ここはボキューズの名前を冠しているが3つ星の店とは違うタイプのブラッスリーであり、ヒラマツとコラボしたのだから「ボキューズ」が前面に出るのは紛らわしい作戦だと言っています。私が夕刊ゲンダイで評したのと同じ主張です。「ラトリエ ロブション」のカウンターに対しても改善するべきと言っておりますし、「サン パウ」のサービス体制に疑問を呈し、「イル カランドリーノ」では、支払額を考えると料理内容が見合わないとCPに対しても言及しています。
「ゴードン ラムゼイ」に至っては、「今や忘れ去られた感がある」とずばり発言。なんか別人が書いているというか、友里征耶をゴーストライターに雇っているかの180度変身した、「ニュー犬養裕美子」を見せてくれています。
しかし、最後は本性がでたのか、「カンテサンス」と「ナリサワ」というお気に入りを絶賛して〆ておりました。「ナリサワ」に対して、サービス面を指摘しない不思議。「月刊プレイボーイ」で宇田川悟氏は、「ナリサワのマダムは、ただフラフラしているだけで、客に取って邪魔」みたいなことを書いていましたから、誰でも満足するサービスではないと思います。何しろ、「ナリサワ」がオープンする前に決め打ちで自分の著書に絶賛原稿を書いてしまったほど思い入れがあるのですから、犬養さんのナリサワ評は不変なのでしょう。
面白いのはシモン氏、犬養氏と二人とも厳しい評価だった「サン パウ」。店からの反論として、エグゼクティヴプロデューサー下山雄司氏が、辛辣に二人を皮肉っています。料理を楽しみたい我々のような客(シモン氏と犬養氏)と仕事でせわしいビジネスマンが混在するダイニングは難しいとの指摘に、「それならなぜお勧めのデグスタシオンコースでなく、ランチのショートコースを頼んだんだ。予算がなかったのか、次の取材の予定があってせわしかったのか」には笑わしてくれました。シモン氏が「スパイス」が下品に効きすぎと批判したコロッケは「スパイスなど皆無のコロッケにスパイスを感じる舌」と彼の味覚を疑問視する反論も面白かった。
しかし、他の店がたとえ批判されようが「大人の対応」のコメントを出しているに、頭から湯気出して真っ向から反論した下山氏。プロデューサーと名乗るのは読者に誤解を与えないか。日本の「サン パウ」を経営する多店舗展開会社「グラナダ」の社長であり、楽天の三木谷社長の義弟でもあるはずです。下山と名乗るなら、経営会社の社長と称して発言するべきであります。
しかし犬養さん。絶賛の「カンテサンス」も同じ「グラナダ」の経営であるのはご存知ですよね。社長からおちょくられて、今後も絶賛のスタイルを変えないのでしょうか。
「マガジンハウス」にしては珍しい読者寄りの辛口企画。シモン氏の評価と自分の評価がどう違うか、巷間言われているほどシモン氏は大したことないではないか、と思われる方もいらっしゃるかもしれません。ぜひ、お暇なときにご一読されることをお勧めします。

芝浦工業大学教授・古川修氏の損害賠償請求事件 3 友里の答弁書

やっと答弁書を提出しましたので、ここに要約を開示します。しかし、こんな子供の喧嘩みたいな訴訟内容、裁判所での優先順位は低いと思いますので結審までどのくらいかかるのか、長期戦は仕方ないでしょう。
原告・芝浦工業大学 古川修教授からの請求の趣旨に対して当たり前ですが、
1、原告の被告友里征耶に対する請求をいずれも棄却する。
2、訴訟費用は原告の負担とする。
との訴訟を求める、と答弁しました。
答弁書の骨子としましては、
友里のコラムは、あくまで「銀座こびき」の料理のレベル(味、食材の質、調理方法、コストパフォーマンス、サービス等)及び「趣味としての料理評論家古川修教授の銀座こびきに対する絶賛評価」に対する「意見表明」(論評)に尽きるものであって、名誉毀損云々の問題とはなり得ない。
古川修教授は、東京大学工学博士、芝浦工業大学システム工学部機械制御システム学科教授等を本業としており、完全な趣味・余暇の分野において日本の食文化研究・啓蒙活動等に力を入れているものであり、原告の社会的名声・評価は四輪操舵角等の研究分野における錚々たる実績並びに国土交通省各種委員会・部会等における要職等からも、古川修教授の趣味の分野において若干の論評を受けた程度で古川修教授個人の社会的名声が揺らぐようなものでないことは明かである。
といったものであります。もっと詳しく書いていますが、要はあくまで「こびき」に対する意見表明・論評であるといったものであります。
最後に「被告の主張」として友里征耶のスタンスや考え方などを提出しました。なかなかうまく言い表せたと自負しております。かなり長文ですがここに友里のスタンス、ポリシーの再確認も含めて公開させていただきます。
1 被告友里は学生時代から「外食」に対する興味を強くもち、有名無名を問わず美味しいと評判の料理店を訪問する事を趣味としてきた。料理店訪問の際、店選びのツールとして活用していたのが著名な料理評論家・山本益博氏はじめいわゆるフードライター達が書いた評価本・ガイドブック・雑誌記事等だった。
 しかし、飲食店訪問の経験を重ねるにつれ、そのような評価本・ガイド本等の記事内容と自分の食後感との間に大きなギャップがあることに気付いた。
 被告友里と同様に飲食店訪問を趣味とする友人・知人らからも同様の意見を多く聞いたことから、このようなギャップはなぜ起こるのかを自分なりに考えた。その結果、有名料理評論家やフードライターたちのスタンスが被告友里を含む評価本や雑誌記事の一般読者・一般客の立場とは大きく異っていることからこのようなギャップが生まれて来るとの結論に達した。
 2 料理評論家やフードライター達は、執筆者としての自分のステータスを上げたり一般読者・一般客の注目を集める一つの手段として、有名料理人・有名料理店関係者或いは稀少食材供給者達等との個人的な関係(親密さ等)を著書や記事上で明言する例が多い。一般読者には到底経験できない有名料理人や料理関係者との親しい関係を示すことにより著者・ライターとしてのステータスを上げることが出来、また、「有名」という言葉や「権威」に流される傾向にある一般読者の関心を引き易いという効果も生じる。
   その結果、料理人・飲食店経営者・食材供給者側がいわゆる「売らんが為」に唱えているような合理的ではない「宣伝文句」をも、何ら理論的な検証等をせずにそのまま著書や雑誌記事等に引用し、一般読者に伝達してしまうというような弊害も目立つ状況が生じている。そして何より問題なのは、料理評論家・ライターと料理店経営者・料理人・食材供給者らが個人的に親しくなり、いわゆる「持ちつ持たれつ」のような関係に陥り、批評対象店の料理・サービス・食材等を冷静・公平・中立に評価し難くなる場合が多々発生することである。
   個人的に親しいがゆえのいわば特別待遇を受けたしがらみを全く白紙にして、一般読者の側に立った評価が出来るか否かはあえて議論をするまでもない。
   フランスのみならず全世界的に最も有名な料理評価ガイドブックである「ミシュラン社のレストランガイド」が厳格な匿名取材方式を堅持することによってその評価の公平性を保ち、読者の絶大な信頼を勝ち得ていることは言うまでもない。ミシュランに比肩される「ゴー・オー・ミヨーのガイドブック」もまた匿名取材方式を採用している。
 3 原告はこのような問題意識から、食べ歩きを趣味とする友人・知人を対象とするメーリングリスト宛の「料理店探訪レポート」を一般客の立場に立った料理店評価情報として継続配信していたところ、その「匿名自腹方式取材」の理念と一般人の立場に立った公平・中立なスタンスの料理店批評の姿勢を評価したグラフ社から新しいタイプのグルメガイド(料理店評価本)の出版依頼がなされた。その結果、平成15年5月に「シェフ、板長を斬る」(副題・悪口雑言集)を出版することになった。
   従来のグルメ本が多くのボリュームを割いていた「有名料理人の経歴」「有名料理人の意見」「有名料理人が自分に作ってくれた料理はどれも美味しく素晴らしかったという経験」等のいわば一方的賛辞の類はすべて省略し、被告友里が工学部出身技術者としての製品設計の際のコスト意識や会社経営の経験を反映させ、取材対象店の想定家賃、スタッフ数などの固定費を考慮したうえでその料理やワインの値付け、サービスなどのコストパフォーマンスを勘案し、その飲食店の経営姿勢が客の立場をどれくらい考慮しているかを可能な限り理論的に検証評価しようとすることを主眼とし、加えて料理人、店経営者、食材供給者とは一定の距離を置いて公平かつ公明正大な評論を目指すために「匿名自腹方式取材」を徹底して実践した結果の評価をまとめた結果が「シェフ、板長を斬る」(グラフ社)である。
 4 料理店・料理人・食材供給者側の立場におもねる評価本・グルメガイドしか見あたらなかったグルメガイド分野において、この本の徹底的に一般客の立場に立った切り口は衝撃的に映ったものと思われ、被告友里の予想を超え、瞬く間に世間の注目を集めることになった。先ず、週刊新潮の書評欄において福田和也氏に2頁にわたって取り上げられた。
   次に、邱永漢氏ホームページ上でのコラム執筆依頼(平成18年6月に終了)を受け、また日刊ゲンダイからの定期的なコラム執筆依頼、その他各週刊誌等からの取材やスポット的な執筆依頼を受けるようになった。
 5 従来、飲食店評価本・記事というジャンルでは、店側・料理人側・食材供給者側の一方的代弁者ではないかと思われる趣旨の発言・記事ばかりが目立ち、料理業界側において改善を要すべき点の問題提起等はほとんどなされなかった。しかし、被告友里は、世の中には料理業界側からの一方通行の情報提供だけではなくカウンターバランスとして一般客側からも種々問題提起する姿勢の評論があってもいいのではないか、色々な意見、両方向の意見が存在することを前提に一般大衆が是非の判断をする機会を与える事が民主主義の根幹ではないか、それは政治経済の分野だけではなく広い意味で文化の一端である料理評論の分野でも必要ではないか、と考えた。
   このような被告友里の考え方が世の中でも一定の評価を得て、「月刊文藝春秋」「財界」といった普段は飲食店評価本とは縁遠い傾向の月刊誌からも注目され、記事として取り上げられるようになった。また、「読んだ、飲んだ、論じた 鼎談書評二十三夜」(飛鳥出版)においては、3人の評者から選択された注目すべき69冊の中の1冊にもなった。その他、「週刊ダカーポ」中では、「週刊新潮の編者が選択した平成15年中の書籍の年間ベスト1」としても紹介された。
   さらに、「味の手帖」においては料理店側の立場(シャネルとアラン・デュカスのコラボレーションによる銀座の超高級フレンチレストラン「ベージュ東京」総支配人)からも被告友里の辛口評論スタンスに対し、評価をしていることが示された。
 6 その後も、被告友里は、「シェフ、板長を斬る?」「グルメバトル」(JCオカザワ氏と共著)と、当初のスタンスに一切のぶれを生じさせることなく一般読者の立場に立った料理店評価本を出版し、被告友里自身が主宰するホームページにおいても一般読者のために公平・中立の立場から論評及び問題提起を続けてきている。
   被告友里の当初からの変わらぬ公平・中立なスタンスに対し、その理解者は一般読者や一般客にとどまらず、飲食店主や飲食店関係者からも広い支持を受けるに至っており、現在では原告が主宰するホームページ(友里征耶の行っていい店、わるい店)は一日のヒット数平均が10万件程度になっている。
 7 被告友里は、飲食店経営者・料理人・食材供給者等におもねることをせず、客観的検証精神に則って論評・執筆活動を続けているため、料理業界関係者におもねるスタンスの料理評論家・ライターにとっては多少辛口のニュアンスに受け取られるかもしれないが、それはあくまで「一般読者」「一般人」の立場を考えての行動・論評であり、公平・中立を旨としていることは言うまでもない。 また、被告友里は何人の名誉を棄損する意図もないこと、かつてなかったこと、今後も一切ないことを改めて明言したい。
以上

自分の名前に当て字する料理人の胡散臭さ

またまたとんでもない本が出版されてしまいました。元毎日新聞社の編集委員で現在は客員編集委員にして東洋英和女学院大学教授の早瀬圭一氏、新聞社勤務だったのにまったく検証精神なしに鮨職人絶賛紹介の「ヨイショ本」を書いてしまったのです。
「鮨に生きる男たち」(新潮社)と題するこの本、あの「次郎」の小野二郎氏はじめ水谷八郎氏などベテランに加えて青木利勝氏から「あら輝」の荒木水都弘氏など鮨ボーイズまで17人を対象に、その生い立ちから修業時代を経て現在までをまったく検証精神なく当人たちの口上を信じてそのまま書いてしまっております。生まれや修業時代など本人から直接聞かないと調べられない内容が主体ですから、これらの店へ頻繁に通って聞き出したのでしょうが、そこまでして出したこの本、読者に何を訴えたいのか。
小野二郎氏など引退してもおかしくない職人さんならまだしも、中堅にようやく位置する青木氏や荒木氏を持ち上げ英雄視する姿勢、何を考えているのか。鮨職人に取り入ってただ本を出しかったとしか私には考えられません。
以前私がパラサイトライターと称した浅妻 千映子氏も、 パティシエの辻口 博啓氏やイタリアンの原田 慎次氏、そしてこの荒木水都弘氏にひっついて次々彼らの宣伝本を出しています。おかげで、辻口氏はラスクから和菓子といったジャンルに及ぶ多店舗展開で利益追求にはしり、「スーパーパティシエ物語」なんていう本を出してもらうくらい勘違いしてしまった。荒木氏は派手な出版記念パーティをしてからどんどん勘違いが発展し、全員同時スタートの夜2回転営業なるまったく店側の利益しか考えない営業を取るようになってしまったのです。彼らの勘違いを許したライターの罪は重いというものです。
その荒木氏、名前の「水都弘」は当て字であって本名ではないと早瀬圭一氏は書いています。こういったパフォーマンスがいい、胡散臭さがいい、と褒めているのですから呆れます。
こう言ってはなんですが、鮨職人が当て字とはいえペンネームみたいな名前を名乗る必要があるのでしょうか。何を考えているのか。
金持ちが多い住宅街に出店したと豪語する荒木氏はある面、商才があると思います。しかし、2年足らずの間、週に一回数時間、「きよ田」で新津氏の仕込み仕草を見ていただけで、マスコミを利用していかにも新津氏の最後の弟子みたいに宣伝させたのはやり過ぎではないか。おかげでその後、「私も新津さんの弟子だった」と言い出す職人が続出してしまいました。名前に当て字を使う鮨職人、みなさん、何の抵抗も感じず彼の握りを食べられますか。
人間はヨイショ、煽りに弱いものです。しかしそればかりを聞いていたら、「裸の王様」になりがちです。彼らは王様や殿ではないので言い回しは違うかもしれませんが、「諫言」を受け入れる姿勢というか、ヨイショを受け入れない謙虚さを持ち合わせないと、とんでもない職人になってしまう可能性があるでしょう。
時代は刻々と変わってきています。未だに「スイーツ」全盛ですが、すっかり辻口氏の露出が減り、次々と新しい人気パティシエが登場しています。盛者必衰、どんな人にも当てはまりますが、驕ってしまってはいけないということでしょう。