自分の名前に当て字する料理人の胡散臭さ

またまたとんでもない本が出版されてしまいました。元毎日新聞社の編集委員で現在は客員編集委員にして東洋英和女学院大学教授の早瀬圭一氏、新聞社勤務だったのにまったく検証精神なしに鮨職人絶賛紹介の「ヨイショ本」を書いてしまったのです。
「鮨に生きる男たち」(新潮社)と題するこの本、あの「次郎」の小野二郎氏はじめ水谷八郎氏などベテランに加えて青木利勝氏から「あら輝」の荒木水都弘氏など鮨ボーイズまで17人を対象に、その生い立ちから修業時代を経て現在までをまったく検証精神なく当人たちの口上を信じてそのまま書いてしまっております。生まれや修業時代など本人から直接聞かないと調べられない内容が主体ですから、これらの店へ頻繁に通って聞き出したのでしょうが、そこまでして出したこの本、読者に何を訴えたいのか。
小野二郎氏など引退してもおかしくない職人さんならまだしも、中堅にようやく位置する青木氏や荒木氏を持ち上げ英雄視する姿勢、何を考えているのか。鮨職人に取り入ってただ本を出しかったとしか私には考えられません。
以前私がパラサイトライターと称した浅妻 千映子氏も、 パティシエの辻口 博啓氏やイタリアンの原田 慎次氏、そしてこの荒木水都弘氏にひっついて次々彼らの宣伝本を出しています。おかげで、辻口氏はラスクから和菓子といったジャンルに及ぶ多店舗展開で利益追求にはしり、「スーパーパティシエ物語」なんていう本を出してもらうくらい勘違いしてしまった。荒木氏は派手な出版記念パーティをしてからどんどん勘違いが発展し、全員同時スタートの夜2回転営業なるまったく店側の利益しか考えない営業を取るようになってしまったのです。彼らの勘違いを許したライターの罪は重いというものです。
その荒木氏、名前の「水都弘」は当て字であって本名ではないと早瀬圭一氏は書いています。こういったパフォーマンスがいい、胡散臭さがいい、と褒めているのですから呆れます。
こう言ってはなんですが、鮨職人が当て字とはいえペンネームみたいな名前を名乗る必要があるのでしょうか。何を考えているのか。
金持ちが多い住宅街に出店したと豪語する荒木氏はある面、商才があると思います。しかし、2年足らずの間、週に一回数時間、「きよ田」で新津氏の仕込み仕草を見ていただけで、マスコミを利用していかにも新津氏の最後の弟子みたいに宣伝させたのはやり過ぎではないか。おかげでその後、「私も新津さんの弟子だった」と言い出す職人が続出してしまいました。名前に当て字を使う鮨職人、みなさん、何の抵抗も感じず彼の握りを食べられますか。
人間はヨイショ、煽りに弱いものです。しかしそればかりを聞いていたら、「裸の王様」になりがちです。彼らは王様や殿ではないので言い回しは違うかもしれませんが、「諫言」を受け入れる姿勢というか、ヨイショを受け入れない謙虚さを持ち合わせないと、とんでもない職人になってしまう可能性があるでしょう。
時代は刻々と変わってきています。未だに「スイーツ」全盛ですが、すっかり辻口氏の露出が減り、次々と新しい人気パティシエが登場しています。盛者必衰、どんな人にも当てはまりますが、驕ってしまってはいけないということでしょう。