友里掲示板でも取り上げられていました山本益博氏の料理評論家像。「おとなの週末 2月号」の「食べ歩き手帳」でチェックさせていただきました。よくまあしゃあしゃあと掌返して言うよなと思う部分と、この友里への当てこすりとしか思えない発言もしばしば。
追い詰めたというところまでは行きませんが、マスヒロさんもかなり友里征耶を意識しだしたことは間違いないようです。
いつものことながら引用を交えて論破を目指します。
わたしのことを高級料理好きの意地の張った食いしん坊と思っている方が多い。・・・中略
蟹のシーズンになったからといって、上海蟹が食べたいとか、ずわい蟹を求めて北陸へ出かけたいなどとはつゆほどにも思わない人間なのだ。
よく言いますね。数年前でしたが、週刊誌(確か週刊現代だったと記憶)で、三国港ちかくの「川喜」を紹介していたのをご記憶の方も多いでしょう。一人3万円以上かかる高額店です。
毎年訪問しているような自慢口調(文調)でありました。昔はフランスの3つ星店訪問や海外高級ホテルへの滞在も自慢していたマスヒロさん。その場しのぎで後先考えない発言は彼のいつものお約束でありますが、ここまでいい加減で良いのでしょうか。
担当編集者もしっかりチェックしていただきたいものです。
料理人が料理に込めた哲学(この哲学、うどん屋の主人ももちろんある)を伝えることこそが、料理評論家、料理ジャーナリストの責務ではなかろうか。
自己弁護も甚だしい。そんな料理人の口上を伝える職業は、単なる料理人の「広報担当」に過ぎません。
評論家やジャーナリストは、その対象者との距離感が重要です。あくまで一般読者、一般人の利益を最優先に考えるべきであります。自分の立場を正当化したい気持ちはわからないではないですが、「評論家」や「ジャーナリスト」の定義をねじ曲げて自己弁護をするのだけはやめていただきたい。
試写を見て評を書く映画評論家やコンサートに招かれてその演奏会を批評する音楽ジャーナリストには魅力溢れる記事を書く人が多いのに、料理の世界に少ないのはなぜだろう。
粗探しをしながら観賞、観劇をする者は楽しまない客で寂しい人だ。料理人に心を開いてもらえない客はなんと可哀想な人である。
なぜ客を客と思わない料理人に心を開いてもらう必要があるのか。映画や演奏会に関する記事がみな魅力的かどうか私は疑問でありますが、料理店に関する巷溢れるヨイショ記事には確かに魅力的なものはほとんどない。
マスヒロさんは私の記事のことを言っているのでしょうが、それは自身へ戻ってくるものだと考えます。
私は山本益博氏に以下の言葉を贈ります。
媚びへつらいながら、もしくは先生面して偉ぶりながら、そして己の生計を立てていくことだけを考えながら料理店を訪問する者は卑しい人だ。料理人にコバンザメのごとくへばり付く料理評論家はなんと可哀想な人である。