人の嗜好はそれぞれでして、今さら蕎麦自体をどうこう言うつもりはない「かんだやぶそば」の火災事件。常連客も多かっただけに、大変残念な事故でありました。
ところで友里は、火災当時のニュースで盛んに
100年以上受け継がれた「返し」を消失してしまった(要約)
と残念がる報道に注目したのであります。
この報道を聞く限り友里が思うに、火災当日まで池波正太郎も愛したという「かんだやぶそば」は
創業以来受け継いできた「返し」を注ぎ足しながら使用すること
をウリにしていたのではないか。
火災当時は盛んにその焼失を残念がる声が聞こえていたのに、しかし現在はほとんど聞かれなくなった。
ちょっと調べてみますと四代目店主は
返しはその都度つくるもの。伝統が味をつくるのではなく、技術が味をつくる。再建後も同じ味は出せる
と半年後の店再開を目指していたのであります。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130221/dst13022100490000-n1.htm
でもこれって当たり前のことでありまして、こうはっきり言っては怒られるかもしれませんが、蕎麦の「返し」なんて
醤油、味醂、砂糖
を適度(人や店それぞれの配分)に調合して加熱するだけのもの。
ただの砂糖ではなく白ザラメの使用や醤油や味醂の質の差、そしてこれが一番でありますが各調味料の配分によって
味わいがかわるだけ
ではないか。
数日寝かせた方が良い、火入れも慎重に、という意見までは未だ頷けるとして
何十年も前の「返し」が必要なのか
と疑問に思う人は友里だけではないでしょう。
この変な風潮は鰻屋のタレや洋食屋のドゥミグラスにおいてもありまし
創業以来のものを注ぎ足しながら使用している
と宣伝する店が結構存在しますが、注ぎ足しながら使用しても創業時のタレ(ソース)が残っていることは、何十年も経ってしまえば物理的にもあり得ない。
またこの「創業以来の・・・」というウリ文句は、
創業以来の「返し」(タレやソース)がなくなれば店はパー
ということの裏返しであります。
つまり、「創業以来使い回している伝統の返し」という客釣りキャッチに縛られる限り、「かんだやぶそば」の
店再開は難しい
よってそのことがわかっての、現店主の方向転換宣言が上述の
返しはその都度つくるもの。伝統が味をつくるのではなく、技術が味をつくる
という、大袈裟に言えば蕎麦業界(鰻業界や洋食業界も)にとって
コペルニクス的転回宣言
なのであります。
不幸な火災事故から店再開を目指すには、今まで「ウリ」にしてきた業界常識を覆さなければならなかったのでありましょう。
実際は現店主の発言通り
「返し」を都度つくるのは当たり前
でありますが、この「かんだやぶそば」の火災事故→店再建の過程でバレてしまった
都度つくるもの
という店主のカミングアウト。
この方針転換発言によって、創業以来の「返し」の存在をウリにしていた蕎麦屋は(タレの鰻屋、ドゥミの洋食屋も)
大迷惑
となったのではないかと、友里は心配するのであります。
客釣りキャッチは集客には重要でありますが、それに縛られることによって逆に首を絞める結果になるというリスクを、飲食業界は想定するべきでありましょう。