昨日、関電の堺港発電所2号機がガスタービンのトラブルで停止したとの報道がありました。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110814-OYT1T00481.htm
関電に限りませんが福島原発大事故後、やけに火力発電所のトラブルや停止が目立つと感じるのは友里だけでしょうか。ヘソの曲がった人たち、特に原発反対の方々は、そこに原発推進派の何か陰謀のようなものを感じているようですが(火力だけでは電力不足と国民を啓蒙し原発の必要性を訴える)、理工系出身で原発に対して是々非々(本業で大きな恩恵を受けていた)の対応をする友里は冷静にもの申したいと思います。
この堺港発電所、ガスタービンと蒸気タービンを合体させたシステム。俗に言う「コンバインドサイクル」であります。一応火力としては最新の技術に位置するものでして、この堺港発電所は平成21年頃に出来た最新の施設です。
今回羽根が損傷したと発表されたガスタービンは、ジェットエンジンと同じような構造でして、部品の消耗が激しいのが特徴。
例えは極端ですが、部品(主要パーツも含む)の取り替えにより数年で1台分丸ごと交換と同じになるとまで言われている、メーカーサイドとしてはメンテナンスでバンバン儲けられる美味しい機器なのであります。
つまり羽根など主要パーツが壊れることは想定内。というか、壊れる前にどんどん交換するべきものなのであります。そんなに大騒ぎするものなのかどうか。
しかし私が言いたいのはこのことではありません。マスコミは火力のトラブルに対してやけに敏感でありますが、この完成して数年しか経っていないガスタービンでもトラブルがあると言うことは
30年、40年前に建設された原発もかなりトラブルがあるはず
と考えるのがまともな頭ではないか。最新の火力以上に老朽原発はトラブルの可能性が高いと考えるのが自然であると考えます。
ここまでは本日のイントロでありまして、本題(大マスコミに対して)に入りましょう。
昨日の読売の社説を読んで、友里はヘソが茶を沸かす状態になりました。まずはご覧ください。
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20110813-OYT1T00851.htm
昨今の政治の体たらくは責任をとらない政治家が問題であり、終戦記念日近くだったからかそのことを
大局を見誤った軍幹部の責任回避
と同じと揶揄しております。
確かに負け続けても勝った、勝った、とマスコミ使って偽情報を流し続けた大本営の罪は重い。戦後に一部の人は連合国から無理矢理責任をとらされましたが、それはあくまでスケープゴート。多くの参謀達はそのまま責任とらず、中には大商社のトップになって政財界に君臨した人まで輩出してしまった。
もっと大きな問題は、その大本営に媚びへつらって国民をミスリードしたマスコミが大きな責任をとったのかと言うことであります。
すぐカッとなり一般視聴者を引かせてしまう勝谷誠彦氏、そのキャラが嫌いながらたまに本質を突いて良いことを言うのでメルマガをとっているのですが、彼はこの大本営を
軍服を着た官僚
と例えておりました。そしてこの責任をとらなかった軍服を着た官僚と同じように暴走をしているのが、
財務官僚
だと例えているのです。
消費税も含めた増税の是非論争の決着は、はっきり言って
増税してみなければわからない
のではないか。瀕死の病人を無理矢理働かせて銭をとった方が良いのか、まずは病人を治療して健康にしてから働かせた方が良いのか。
増税論者は
このままでは治療費もないから早晩死んでしまう。まずは働かせて治療費を稼がせろ
という理論でありまして、増税反対者は
無理に働かせたら死んでしまって元も子もなくなる
この論争、医者でさえ決断できない問題でして、私はやってみなければ誰もわからないと考えるのです。最終的にはコインの裏表で決めるしかないのではないか。
増税論者である読売でありますが、そんな誰にもわからないことで、財務官僚の片棒を担ぐのではなく、冷静にメリット・デメリットを国民に解説することが大マスコミの使命ではないか。
だいたい責任回避は政治家と大マスコミの専売特許ではありません。それ以上に逃げまくっているのが、官僚であることは薬害や郵貯の問題で誰も自腹で責任をとっていない事実が証明しております。
かんぽの宿をタダ同然で売った責任をとって自腹で補填をした役人がいるか。薬害で犠牲になった患者に自腹で補償した役人がいるか。ぜ?んぶ、国民へ責任転嫁(税金)しているではないですか。
国税庁を外局にもつから怖いのかどうか知りませんが、財務省に特に配慮を感じる大マスコミ。
増税論者である財務官僚を表に引っ張り出して反対論者とディスカッションさせるとかの公平性を示したらどうなのか。もし増税で日本経済が崩壊したら、
腹を切るほどの責任をとるのか
となぜ財務官僚に迫らないのか。
いやまず、今までの官僚の責任回避を一度でも社説で徹底的に論じてみろと私は言いたい。
だいたい政局だと称して、政治の世界にいちいち首突っ込んでくる目立ちたがり主筆を自浄できない読売が
他人の責任回避
をどうこう言える立場ではないと友里は考えます。