プロ野球のGMは選手上がりでないと務まらないものなのか

10日のブログでちょっと触れました日本のプロ野球GM職。清武の乱の時もそうでしたが、GM職が話題になる度に

GM職は専門の人(プロ野球OB)に任せろ

 という人が出てきます。自軍の戦力分析や選手編成はプロ野球OBでなければ出来ないと言うことでしょうか。

名選手必ずしも名監督ならず

落合氏などの例外がありますが、長嶋茂雄氏を例に出すまでもなく、今までの名選手上がりの監督が歴史で証明しております。
ではなぜGM職では選手上がりが必要だというのか。そう主張する人たちは

専門家でないと選手を見る目がない

と思っているのでしょうか。しかし私は言いたい。GMの仕事は選手の値踏みだけではなく、戦力編成など戦略的と言いますか頭を使う要素が多いはず。それ以外にも選手獲得などのための交渉力なども必要でしょう。
はっきり言わせていただくと、小さいときから野球しか知らない人が多いプロ野球OBに、このような能力が備わっている人がどのくらいいるのか。

選手の値踏みは、それこそ元プロ野球選手を配下に雇えばさえすれば良いわけです。その配下をうまく使いこなせばよいだけなのであります。
トヨタを例に挙げましょうか。社長とまでは言いませんが工場長、現場出身者でなければやっていけないものなのか。電鉄会社の幹部、運転士出身でなければなれないものなのか。
軍隊ですが、参謀幹部に最前線経験者がのし上がることが出来るのか。警視庁や警察庁の官房長職、交番勤務や機動隊の人にも門戸を開いているというのか。友里は

なぜプロ野球だけ幹部に選手上がりが必要と言われるのか

わからないのであります。
笑いのとれない吉本芸人のような記者会見だった中畑氏を監督に指名した高田GMの採用、DeNAは初っ端から球団再生に失敗したと私は考えるのです。
いやGM職だけではなく監督職も、頭さえ良ければ配下のコーチに選手OBをつけるだけで、プロ野球経験者でなくとも私は立派にやっていけると私は考えます。
 

換言すれば、頭が悪ければいくら選手時代の成績が優秀でも監督は出来ないということ。
以前のブログにも書きましたが、アメリカのプロバスケットボールやプロアメフトのヘッドコーチ、選手上がりと思える体の大きい人をほとんど見かけません。
選手上がりが監督をしているメジャーでありますが、GM職は選手上がりではないのではと友里は推測します。

福治の肝事件の主役は東国原英夫だった!

先月、違反のフグ肝を出して営業停止と主人のフグ免許取り消しの処分を受けた「ふぐ 福治」。
拙著「絶品レストラン」(鉄人社)でも掲載した唯一友里お気に入りのフグ屋だったのですが、違反行為をしたとの報道を欧州旅行中に知り非常に残念に思ったのであります。

フグの肝は全国どの地域でも(大分県も)出すことは禁止されているものですから、その条例を破った店が悪いのは当たり前です。
しかしTVなどでの実名報道がかなりありましたし、主人の免許取り消し(再取得は出来ないらしい)によって、今は営業が再開されたようですが、ある意味かなりの制裁を受けたのではないでしょうか。
これからはフグを提供するにはフグ免許をもった調理人を常時雇う必要があります。(丸から仕入れて捌く場合)
今後も以前と変わらない質のフグを提供できるかどうか(フグ免許を持つ調理人を雇い続ける為に経費が増える可能性大)に店の将来の明暗の分かれ目と考えます。

さてこの大事件の主役、もとい被害者女性の相手男性がなんと

 東国原英夫(そのまんま東)

だという昨日の日刊ゲンダイの記事に友里は驚いたのです。

http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20111211-OHT1T00032.htm

フグ屋で肝を要求する客ですからかなりの常連かと想像していたのですが、この4~5年で5回ほどしか訪問していないとは予想外。常連客より有名人に店は弱いのでしょうか。しかし東国原英夫氏サイドは

「あん肝はあるか」と尋ねたところ「あん肝はないが、ふぐの肝ポン酢はある。(食べても)大丈夫」

と店から言われたと弁解しているようです。店側はノーコメントに徹しているので事の真相はわかりませんが、問題は以下の東国原英夫サイドの主張であります。

九州では、毒性のない肝が提供されることがあり、除毒された可食性の肝ポン酢と一貫して考えていた

多くの人が勘違いしている可能性があるのですが、全国津々浦々、大分県でも

可食性の肝ポン酢など許されていない

のであります。「グルメの真実」(宝島社新書)にも述べておりますが、許可されていると言われている大分県も実際フグ肝は禁止。確かに肝を出している店があるようですが、大分県の店でも

フグの肝を出すのは違反

なのであります。政治家を志す東国原英夫氏なら、この程度の基本知識は持っていてもらいたいものであります。

しかし人間落ち目になるとその右肩下がりは止まりませんね。思えば彼の転機は2年前の衆院選だったでしょうか。自民党からの出馬要請に条件闘争だったのでしょうが

 総裁にしてくれるなら

との発言報道に世論の潮目が一気に変わったのは記憶に新しい。その後の知事放り投げ、都知事選落選、そして今回のフグ事件主役と、マイナスイメージしか発信しなくなってしまいました。
ついていないときは何をやってもダメだという証左でありますが、来年から巻き返しに転ずることができるのだろうか。この正月は、フグ肝より美味しい

カワハギの肝

でも食べながら戦略の練り直しをする必要があるでしょう。

得意の品ない自慢話で間違った情報を垂れ流すな、林真理子さん

先日西麻布の交差点近くを歩いていて今年最後の発見かもしれない「閉店」を見つけてしまいました。流行っているとは思えませんでしたが、1つのシンボルだった

アマンドが11月で閉店

していたのです。張り紙を見たら「42年間」もこの地でやっていたとか。六本木の店が綺麗にリニューアルしていただけにグループでは儲かっていたのかと思っていたのですが、経営が厳しかったのでしょうか。

さて、先週に掲示板でお題をいただいていたのですが、ブログアクセス不能などでタイムリーに発信できなかった1961年もののボルドーワインについて本日ちょっと書いてみたいと思います。
まずは環境や教育の問題だったのか、相変わらず人脈自慢などつまらない自慢話で純粋無垢な読者を惹きつけようしている林真理子女史のブログ(魚拓)をご覧ください。

http://megalodon.jp/2011-1204-2312-09/hayashi-mariko.kirei.biglobe.ne.jp/201112/article_5.html

まず疑問に思ったのがこのフレーズ。

山本益博さんがいろいろ教えてくださる、なんとも贅沢な美食&ワイン会

おいおい、いつからマスヒロさんはワインを教えられるほどの飲経験を積んでいたのか。だいだい下戸なのにワインが好きになれるものなのか。
マスヒロさんが紹介し抜栓するシャトー・タルボを飲むと言うことは、たとえて言えば、運転免許を持たず車をほとんど操作したことがない人の運転で

マセラティ(フェラーリと書かないところを感じ取ってください)の助手席に乗るようなもの(公道ではなくサーキット内として)

ではありませんか。
マスヒロさん、若かりしき頃パリでフレンチを食べ歩いたと自慢しておりますが、当時「ワインをまったく飲まない変な日本人が出没している」といった噂が出回ったといった笑い話を聞いたこともあります。

またこの61年のシャトー・タルボ、林真理子女史は

マスヒロさんが言うには、この年のボルドーはすごく珍しいそうです

と紹介していますが、こんないい加減な事を書いてしまったら、何も知らない彼女の読者(これが大勢いるから不思議です)が誤った知識をつけてしまうではないか。まずはネットなどにあるこのワインの情報をご覧ください。

http://www.yoshidawines.com/product/591

ここでは現在のところ3本の在庫。価格は5万円弱とちょっと高い気がします。もう売り切れているようですが、楽天では3万5000円で売られていたようです。

http://item.rakuten.co.jp/k-wine/ml_1890-10/

人によって嗜好が異なるから何とも言えませんが、ボルドー4級のワインでありますから、例え1961年ものといっても

他人に自慢するほどのものではない

と言うこと。そこらの食べ歩きブロガーではなく、立派な直木賞作家のブログだからであります。

だいたい61年は20世紀を代表するボルドー当たり年の1つ。不良の年にはワインの生産が抑えられますが、当たり年は結構な量が生産されるんですね。生産された数的には決して「珍しい」ものではないということ。良い年なので価格が高くなることがあるだけであります。
不良の年だった1963年のボルドーワインを見つける方が遙かに難しいでしょう。

あとブログでも指摘がありましたが下戸のマスヒロさん、一応61年ものの古酒を

パニエを使用せず抜栓しグラスに注いでいる

んですね。多分パニエ抜栓をしたことがない(知らないのかも)のでしょうが、普通の経験者なら他人に「凄く珍しい」とうほどのワインでありますから、大事をとってパニエの使用は必須でありましょう。
使用したグラスに

ブルゴーニュタイプが混ざっている

というつまらない突っ込みはしませんが、グラスを回してダメなほど繊細なワインならば

なぜパニエを使用しないのか

という突っ込みを私はしたい。
私の拙い経験で言わせていただくと、古酒のコルクはワインが全体に染みこんでしまっていてボロボロのはず。リコルクもの以外

乾ききっている というコルクを見たことがない

のであります。
どんな状態で保管したら、50年たつボルドーワインのコルクが

乾ききるのか

私にはまったく理解出来ません。
2011年マイナス1961年は50年のはず。なぜこのワインが

人間で言えば90歳のお婆さん

 に例えられるのかも理解不能であります。