読者の方から色々と東京ミッドタウンの情報をいただきました。私も出遅れましたがボチボチ訪問することにします。近く、第一報をブログでアップしたいと思っております。
さて、「店評価ブログ」に、あまりに濃厚な味で最後は飽きてしまい残りシーズン蟹を食べる気力がなくなってしまった三国港の「川喜」と、いくら銀座とはいえ、このタネ質と握りで2万円台後半はあまりに高すぎると感じた「寿司仙」をアップしました。
お暇なときにお立ち寄りください。
「店評価ブログ」を更新しました
飲食店を勧めるのに本当に「勇気」が必要なのか
またまた「さとなお」さんにやられてしまいました。読者の方から教えていただいたのですが、4/3の「さなメモ」で暗に友里批判に近いものを「さりげなく」されております。
http://www.satonao.com/
店を褒めて紹介するには勇気がいる。その理由は、もしイマイチだったら読者から舌力やセンスを疑われるからだとのこと。反面、けなすのは非常に簡単。駄目だ、皆が褒めるがいまいちおいしくない、と言えば、舌力や経験があるように演出できるからだということです。けなすのは簡単、褒めて勧めるのは度胸がいると堂々とおっしゃっています。
「イマイチ」は私が連発する数少ないボキャの一つでありますし、「皆が褒めている店を美味しくない」というのは友里くらいですから、私への当てこすりなんでしょう。こんなスタンスの人は、他には緩めの批判ですがJ.C.オカザワ氏くらいしかいません。はっきり名指しすればいいと思うんですけどね。
店に対して問題提起する、味に疑問を投げかける行為(友里がやっていることです)に勇気がいるとは思いませんが、「褒めて勧める」ことにこれまた勇気がいるとは到底思えません。
犬養さん、大谷さん、来栖さんはじめ数え切れないライターが店に対してほとんど問題点を挙げず褒めて読者に勧めています。犬養さんに憧れて、北海道から上京してきてスープカレーの店の紹介記事をかいてデビューした若い女性にスポットをあてたTVを見たことがあります。
これだけ誰でもできること、ほとんどの人がやっている行為に「勇気」が必要なのでしょうか。
いや、そんなことが問題ではありません。自分のやっていることに対して、「勇気がいる行動」と自慢することがみっともない行為だと自覚できない「さとなお」さんが私にはおかしく感じます。ええ格好しい、というのか、「ナルシスト」としか思えません。なんで、わざわざ「勇気がいる」なんて自慢するのか。
店を褒めて薦めたら、読者以外はみなハッピーになります。批判記事を受け入れる読者層は少ないのですが、褒め記事は売りやすいので出版社は笑顔。勿論褒められた店は客が増える可能性がありますから大喜びです。損する可能性があるのは、真に受けて訪問して期待はずれとなった読者くらいです。この数多い読者が実は「サイレント マジョリティー」であるため、ライターたちにフィードバックされていないだけ。実際は「あいつ本当に味がわかっているのか」とバンバン思われているんですが、そのことに気づいていないわけです。訪問して貴重なお金と時間を無駄にしている読者が本当は数多くいるということがおわかりでない。もし、「美味しくないぞ」と文句が来たとしても、「料理の味の嗜好は『人それぞれ』」と逃げられます。「自分のことを理解してくれる人にだけ発信している」とも言えるわけです。
実際最近は、「ただの大食漢で大味好きな人」といった話もたまに耳に入ります。「濃い味好きだ」と言っていた料理人もいました。私も「味の濃い料理好き」なだけだと思っております。世間で結構センスなどを疑われているんですけど、ぜんぜん気にしていないではないですか。これは勇気がいるのではなく、能天気なだけ、図太いとも表現できるかもしれません。
料理人から、「あんたの家族が心配ならも謝罪しろ、筆を折れ」、「いい所に住んでいるね。放火してやろうかと思った」と脅迫にも思える言葉を直接受けてもスタンス変えない友里は単なるバカかもしれませんが、少なくとも「褒めて勧める」だけの人より「勇気がない」とは思えません。それでも、自分のやっていることが「勇気のいる行動」なんて、恥ずかしくて口に出せないものです。矜持を大事にする人なら決して発しない言葉であります。なんでこんなに自慢したいものなのか。
私は密室でのやりとりやクレームが嫌いなので、今回自分のブログで反論させていただいた次第であります。判断は読者にお任せするのが友里の主義であります。
申し訳ありません、訂正させていただきます
4/2のマスヒロさんネタのブログで、読者の方から重大な間違いがあることを指摘されましたので、ここにお詫びと共に訂正させていただきます。
マスヒロさんがDRC社を訪問し、当主のヴィレーヌさんに、1929のロマネ・コンティを飲んでオペラに例えた賞賛話を披露した件につきまして書いたブログであります。
かなり古い話であったので、銀座「アルバス」でDRCの若いワインを注いぐという暴挙の主役のワインが、この1929年のロマネ・コンティであるはずがないと勝手に思い込み、昔のコラムを確認せず、確か「ラ ターシュ」だったと思い違いして書いてしまったのです。
しかし、ご指摘を受け、そのことを取り上げたコラム(下記に添付します)と記録を確認しまして、件の若いワインで薄めてしまった高級ワインがヴィレーヌさんに自慢した1929年のロマネ・コンティそのものであったと判明した次第であります。注いだワインは1982の「ロマネ・サンヴィヴァン」でありました。
不幸中の幸いというのでしょうか、混ぜられたワインが古めの「ラ ターシュ」でなくもっと格落ちしたワインであったならば、事実無根とまたまたクレームや訴訟問題に発展するかもしれないいい加減な記述でありましたが、古めの「ラ ターシュ」とは比べられないほど貴重な1929年の「ロマネ・コンティ」であったことで、 この「混ぜ合わせ」というマスヒロさんの行動の「暴挙度」が更にアップしてしまいました。
ロマコン、しかも50年、60年以上も前の世界最高峰とも言われるワインをそのまま味合わず混ぜちゃったんですから信じられません。
アリアに例えるのは勝手ですが、感動したワインは混ぜる前の単品だったのか、それとも混ぜた後のブレンドだったのか、どちらにしてもヴィレーヌさんに1929年のロマコンに若いワインを混ぜたと告白したら、相手にされなくなったことでしょう。私の記憶もいい加減でしたが、マスヒロさんもいい加減というか、悪い記憶は抹消してしまっているのかもしれません。
今後は、このようなことがないよう、充分気をつけてブログを展開させていただく所存であります。ここに、訂正とお詫びをさせていただきます。
最後に、当時(2004年8月8日)のコラムを貼り付けます。
第390回
ワインの諸々 その27
ロマコンとは羨ましいが、そのマナーはいただけない
つくづく料理評論家というのは良い商売だと思いました。
「おとなの週末」8月号で
山本益博氏は、受け持っているコラム、「食べ歩き手帳」で
銀座の「アルバス」への訪問を取り上げておりました。
「アルバス」自体は356回、357回で
既に私は取り上げておりますのでどうこう書きませんが、
そこで彼は1929年のロマネ・コンティを開けて飲んだそうです。
1929年のロマコンはこの百年の最高の当たり年で、
今回が3回目と自慢していましたが、
限られた知人ではなく不特定多数の読者に飲んだワインを公開して
自慢するのはあまり粋ではありません。
そして、1929年のロマコンがこの百年の最高の出来というのも
いままで聞いたことがありませんでした。
1928年もそれに匹敵する、
もしくは上回るほど素晴らしい評価ですし、
1945年を最高という評論家もいます。
つまり、飲んだ時期(抜栓までの年数)やボトル差、
そして飲んだ人の感じ方で変わってしまうのは
ワインだけではなく料理も同じのはず。
彼はそんなにワインの知識がありませんから、
このコメントは知人からの受け売りだと思いますが、
今回はそれを突っ込むのではなく、
問題にしたいのはそのワインの価格です。
恐らく世界で最も高いワインの一つであるロマコン。
誰もが一度は飲みたいと憧れるワインですが、
その費用対効果を考えると、
最もCPの悪いワインと言えると私は考えます。
つまり他の高額ワインより5倍、10倍高いけど
その価格差ほど味は傑出していないということです。
私の訪問時、「アルバス」のワインリストで
ロマコンがあったように記憶していますが、
記録では82年のル パンが35万円でしたから、
1929年のロマコンを売るとしたら100万円はくだらないでしょう。
1985年と比較的若いロマコンですが
これも20世紀を代表するロマコンの一つといわれ、
オークション価格でさえ50万円を超えています。
店で飲んだら100万円以上でしょう。
仮に一緒だったスポンサーが持ち込んだとしても
購入値は安く見ても50万円前後することは間違いない。
勿論フランスやベルギーの3つ星店でも
もうこれほど古いワインは見当たらないのではないでしょうか。
彼はワインマニアではありませんので
このロマコンを所有していたとは考えにくい。
仮に所有しているというならばその余裕の収入に驚きますし、
誰かスポンサーに毎回ご馳走になったとしたら、
このような古い有名ワインを何回も飲む機会がある
料理評論家というのは本当に羨ましいかぎりです。
しかし、マナーがいけません。
ちょっと変わった事をやって、雑誌に書いてさすがと思われたい、
といった自己顕示欲が強い方だと
彼を知る読者の方など各方面の方々から聞いていましたが、
なんとその29年のロマコンに
82年のロマネ サンヴィヴァン(同じ特級畑でも格の落ちるワイン)
を注ぎ足して飲んだそうです。
29年のロマコンに精気が蘇った、
ソムリエの仲田氏もビックリしていた、と自慢していますが、
仲田氏は呆れていたのではないでしょうか。
古酒は1本ずつ状態が違い、すなわち強さ、味わいも違ってきます。
リスキーではありますが、それが古酒の良さでもあるのですが、
老け込んだワインだから若い、
しかも畑の違ったワインを継ぎ足すなど、
ワインをちょっと知った人ならば絶対考え付かない、
やらないことなのです。
世のワイン好きの中には、
ロマコンを1杯でも飲む機会のない方が多勢いらっしゃいます。
それだけ希少で高価なワインを
安いテーブルワインのようにブレンドしてしまうとは
品性を疑います。
同席したこのワインのスポンサーがこの行為を黙認したならば、
そのスポンサーもたいしたワイン愛好家ではないということです。
彼の行為は、その多数のワインラヴァーと
大げさに言えばワインの神様への冒涜に近いものと考えます。
それなのにこの暴挙を隠すでなく、
自慢してコラムに書くそのセンスに私は驚きました。
ワインにまったく造詣がない、
臭い言い方ですがワインを愛していないというのが
これではっきりしたようです。
老け込んだワインが嫌ならば、古酒を飲まなければいいわけです。
若めのワインをスポンサーの薀蓄を聞きながら飲んでいれば良い。
29年のロマコンに82年のロマサンを注ぐなど、
鮨屋で「煮切り」と「ツメ」を混ぜて
白身の握りに塗って食べるより暴挙でしょう。
「と村」のお椀が薄味だからといって、
吉兆の出汁を足して飲むより酷い。
最近彼がべた褒めしている銀座の蕎麦屋、「流石」の
「ひやかけ」の汁が薄いと感じた客が、
街場のうどん屋の汁を足して飲んだら
マスヒロ氏はどう思うでしょうか。
彼は同じような事をやっているのですが、
ワインに詳しくない「おとなの週末」の読者に、
誤った知識を与えかねない愚行と記事だったと考えます。
毎日友里征耶のコラムをお読みいただき御礼申し上げます。
勝手申し上げますが、夏休みをいただきたく
2週間このコラムの更新を休ませていただくことになりました。
途中、1本、残暑お見舞いをはさむと思いますが、
また、8/23から再開させていただく勝手をお許しください。