読者の方から大きなネタをいただきました。今週発売の週刊文春で
伊集院静が料理評論家にいいがかり、イチャモンをつけている
とのメールであります。早速購入してきまして66~67ページの「伊集院静の『悩むが花』」をチェックしたのです。
読者の質問に伊集院静さんが答える企画でありまして、あるレストラン店主の質問は
某辛口料理評論家にブログで自店を酷評された。まったくの見当外れの言いがかりで腹が立って仕方がない(要約)
というものです。
友里掲示板では、自分が店主のフリをして捨てアドで投稿したとの告白書き込みがありました。真偽のほどはわかりませんが、もし本当だとしたら「自腹」というワードを伊集院さんは微妙にスルーしていることになります。
ところで、日本に辛口(悪口)料理評論家という肩書き?をもつのはこの友里征耶くらいしかいないと思うのですが、驚いたのはこの伊集院さんの答え。
人を批判する奴に限って肝っ玉はすわっていないから。いや肝っ玉もないだろう。
おいおい、己は人を批判したことがないとでも言うのか、伊集院さん。1/27の友里ブログでも取り上げた(批判した)ように彼、伊集院静さんは
寿司屋は男の場所だ。女子供が来るなんてとんでもない
だから私は成金が嫌いなのである
と、寿司屋に来る女性や子供、そして成金を堂々と批判。
貸し切りで満杯と断られた銀座の鮨屋主人を後日叱ったとも自慢。
銀座の鮨屋が客に店を貸し切らせて(正確には借り切らせて)どうするんだ。バカか、おまえは
と言ってやったとまで週刊現代に書いておりました。
有名女優の元夫で一応有名作家だから、ある程度の暴言は目こぼししてもらっているのでしょうが、自分の発言を棚に上げての
人を批判する奴に限って肝っ玉はすわっていない
という発言、まさに「天に唾はく」行為ではないか。いや、もしかしたら、週刊現代などでそのような発言をした記憶がまったくなくなっているのでしょうか。
そのレストラン店主(なりすましかも)に対し
道で逢ったら(辛口料理評論家の)首根っこ締め上げてやりゃいいんだ。店に来たらバケツで水かけて、塩撒いて追い返せばいい
とまでアドヴァイスしておりますが、まともにうけてその店主がそのようなことをしてしまったら
立派な傷害教唆
ではないか。また料理評論家の顔をさして
どう考えても何年か前は貧乏暮らししてた三流(プロの作家なら「い抜き」の誤用をするな)の連中ばかりじゃないか。
どうしてわかるかって?人間は生まれ育ちが顔に出るの。
伊集院静さん、ご当人は生まれ育ちがお顔にしっかりでているのでしょうか。
昨年夏の終わり、祇園のあるお茶屋バーみたいなところのカウンターに友里が座っていたと思ってください。
0時前後、酒に酔った団体が入店してきたのですが、その中には近藤マッチ、辰巳琢郎に加えて他腹が得意な伊集院静さんのお姿もありました。
サントリーの佐治さんなど京都近辺の財界人?がスポンサーだったからか、10人を超える舞妓に芸妓を従えておりまして、それは品あるとは思えないどんちゃん騒ぎとなったのであります。
あの時の伊集院さんのお顔、
決して人の育ちをいえるほどのお顔
には見えなかったこと、ここに書かせていただきます。
また、育ちが顔に出ていると揶揄されたその評論家、その直後に「何がマッタリとした味だ。」とか伊集院さんは書いていますから、
山本益博氏(マッタリはマスヒロさんの得意表現)
のことを揶揄していると誰でも思うことでしょう。こんな揶揄も、伊集院さんにとっては
人への批判ではない
と言うのか。
レストラン店主(なりすましかも)が言うところの「見当外れの言いがかり」を何の検証もなく鵜呑みにする純粋さも可笑しいところ。
でもここまで伊集院さんに対し批判をしている友里に道で逢っても
首根っこを締め上げる
ことが伊集院静さんにできるとは思えません。彼に肝っ玉があるとは思えないこともありますが、友里の伊集院さんへの批判が
見当外れではない
からであります。
たまにしか京都へ行けず、しかもどんちゃん騒ぎができるような場所に近寄らない友里。よって伊集院静さんと再度遭遇するチャンスがなかなかないと思いますが、もしお会いしたら声を掛けさせていただこうかなとも考えております。道ではなく店内でも首根っこを締め上げるのか、いやどう反論していただけるか
伊集院静さんに肝っ玉があるかどうか
検証できれば面白いかもしれません。