好評のグルメライター丸裸も一応この2名で終わりとさせていただきます。
ではなぜライターではない、今や大阪の高校の校長職に潜り込んだ俄グルメの自称放送作家「わぐりたかし」まで取り上げるのか。
それは、自称美食の王様、実態は単なる過食のオコチャマ・来栖けいを語るには似非グルメの放送作家・わぐりたかしとの絡みから話さなければならないと考えたからであります。
来栖けいのデビューと瞬間的なTVブレイクに関与したのは「すずきB」とこの「わぐりたかし」なのでありますが、その「わぐりたかし」と来栖けいを結び付けたのはこの友里でありました。
それではまず、「わぐりたか」しと友里征耶の関係から書いていくことにします。
あれは友里がデビューした翌年、2004年の11月のことでした。
放送作家の「わぐりたかし」と名乗る人からメールを貰ったのであります。
最初はとりとめのない話でしたが、そのうち当時TVにかなり露出していた自称レストランジャーナリストの犬養裕美子さん(今や完璧に埋没)との場外バトル(ネットでの言い争いなど)の企画提案をしてきたのであります。
この「わぐりたか」しという放送作家、古くは宜保愛子と大槻教授とのバトルで宜保側について怪文書をばらまいた張本人と言われたお方。
煽りが得意技のようでして、コンテンツ不足だったからかこの友里を担ぎ出そうと考えての接触でありました。
当時から謙虚で控えめな性格の友里、こんな誘いには乗らなかったのですが、何回もメールで会おうと誘われ続けたため、重い腰を上げたのは年明けのことでありました。
当日は身内を連れてディズニーリゾート1泊に出かけていたため、途中抜け出しての接触。確か待ち合わせしたのは彼(わぐりたかし)の住居近くの蕎麦屋でありました。
接触は1時間あまりだったと記憶しておりますが、その短い時間で受けたわぐりたかしの印象は、どこへ出しても恥ずかしくない
成り上がり
であったのです。
丁稚のような下積みを経て立派(?)な放送作家になったようで、彼は己のセレブさを自慢したいのでしょう
年収自慢(数千万と具体的だった)と住んでいるマンション自慢
が何回も会話に出てくるんですね、初めて会っただけの友里相手に。
確かに一般サラリーマンとは比較にならない年収でありましたが、初対面の相手に言うべき事なのか。しかも友里征耶に向かってこの額で。
またここに住んでいると自慢げに指さしたマンション、友里の記憶では
青いお屋根シリーズの秀和レジデンス
ではなかったか。
当時はまだ使われていなかった言葉ですが
聞いていてイタい
と感じた瞬間でありました。
その後も何とか友里を担ぎ出そうとのメール接触が続いたのですがそれに乗らなかった友里、その代わりに面白いオコチャマがいると彼に紹介したのが
来栖けい
であったのです。
実は読者からこの過食のオコチャマ、もとい、美食の王様のデビューを知り、もしやと数日前に食べ仲間と奥沢の寿司屋「入船」(オコチャマが日本一と言い張る寿司屋)へ行ったと思ってください。なんと初めての訪問で
オコチャマが隣りに現れた
のであります。
今は袂を分かったようですが、あら皮→ドン・ナチュールから晴れてトロワフレーシュとして独立した森地氏との二人連れ。
友里は森地氏とあら皮時代から旧知だったので、オコチャマを紹介してもらい名刺交換に成功したのであります。
驚いたのはその名刺。まだ本を出しただけでまったくの無名であったのに、その名刺は黒地で肩書きが
美食の王様
となっているではないですか(本名の名刺も貰いましたけど)。
なんと自己顕示欲が強い坊やだと感心したのであります。
そんなこともありまして、「わぐりたかし」には
入船に行けば会えるかもよ
と伝えたところ早速出かけて彼もオコチャマとの接触に成功。
その独特の風体にひらめいたのでありましょう、オコチャマは1か月も経たずバラエティ番組に出演してしまってそれなりにブレイクしてしまったのであります。
来週につづく