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問題提起
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- 2009年04月02日(木)|
「ロブション自伝」、166頁に興味深いロブションの考えが書いてあります。要約すると
ジャーナリストは毎日レストランに通うための個人的な資産を持っていないし、会社からすべてをカバーできるような経費を貰っていない。メディアは財力がないということは誰でも知っている事実だ。
銀座の予約困難店「かわむら」に変わる前のフレンチ、年不相応な若い女性を連れた男性が、ある「TV局」の領収書を貰っているところに遭遇したことがあります。それだけなら驚かないのですが、シェフへの「この近くに今から入れるホテルある?」の質問に私はひっくり返ったのです。仕事の為の接待でないのは見え見えでした。最近は厳しいと言われていますが、こんな目的にも経費を提供するTV局は結構財力があったと考えます。
メディアすべてに財力がないかどうかは判断がわかれるところですが、ジャーナリストや料理評論家がその収入の中から毎日食べ歩くのが困難なのは、私の経験からも理解できます。
面白いのは次の記述です。
もし、ジャーナリストが、勘定を本当に支払いたいのなら、匿名でくるべきだ。
さすがロブション、膝ポンです。この場合の「匿名」とはジャーナリストだとわかる実名(ペンネームでも)
ではない名前での予約のことでしょう。ペンネームを匿名と批判する人がいますが、たとえば来栖けい氏が「来栖けい」の名で店を予約した場合は「匿名」とは言いません。実名訪問となりますから、アンチの方は特にご理解ください。
確かに自腹をうたい文句にしている私は、絶対に「友里征耶」で店訪問をしません。連れが予約せず、私が本名で予約することはありますけど。
山本益博氏は常々「実名(山本益博)」で店を訪問すると言っております。飛び込みで入ったランチ店でも「名刺」を出して名乗ることも多いとか。見ただけですぐわかるように、特徴ある「髭」を生やしているとも聞いております。
私は特別待遇による「特別料理」を食べたいだけなのかと思っていたのですが、ロブションの言を借りますと、「タダ飯提供」もその目的だったと言うことでしょうか。
私は前から主張しています。
一般客の為のレストラン評価をするならば、一般客が食べられない「特別料理」を食べるのはナンセンス。
「実名」を名乗らず、髭など剃って特徴を消して、一般客に紛れ込んで「一般料理」を食べるべきだ!
ロブションのおかげで、料理評論家やフードライター、レストランジャーナリストたちプロの「実名取材」は、「タダ飯」である確率が高いことがわかりました。
中には「美食の王様」といったお笑いの宛先名で領収書を貰っていたヨイショライターもいますから、確かに支払いをしている人もいるでしょう。しかし、食事会の参加者全員の料理代総額を自分宛の領収書額にしているなど、世間の常識(税知識)から隔離した人が多いのが飲食業界のライター、ジャーナリスト、評論家の特徴のようです。
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問題提起
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- 2009年04月01日(水)|
ロブションは「ロブション自伝」で次のように言っています。
もっとも、音楽の批評家は、オペラの席料を払うことはないですし、映画批評家が、映画を見るときに入場料を払うこともない。文芸批評家も本の会計をすることはありません・・・・・・。それなのに、どうして、美食批評家はそれと違うというのでしょう?
「タダ飯肯定派」も同じことを主張しています。しかし私が思うに、オペラ、映画、本の「タダ提供」と「タダ飯」とは根本的な違いがあるのです。
確かにそれらの批評家は支払いをしないで「批評」をしているかもしれません。しかしその「対象」は、彼ら批評家の為だけに開演、上映、出版されているわけではないのです。
オペラは批評家1人の為にわざわざ開演していません。映画もしかり。本も何千、何万部の中の1冊です。
しかし、美食批評家に提供される料理は彼らだけのために造られたものであります。ロブションはポーションや調理では差をつけないと言っていますが、タダで提供しようと考える人が本当に差をつけないでしょうか。支払いで大きな便宜を図る人の言葉に説得力はありません。
また、オペラ、映画、本の提供と料理の提供は、同じ「タダ」でも経営者側(オペラや映画の主催者や出版社)とレストランの経営者では、負担率が桁違いです。
本や映画と違って、オペラは料理と同じように何万円もするでしょうが、主催者側の負担率はレストランに比べて桁違いに低い。
何百人もの有料入場者の中で、批評家をタダにしただけの収入減と、せいぜい何十人しか入らないレストランで2名分をタダにするための収入減では負担率の次元が違います。また、オペラや映画の「タダ入場」は単にその分の収入が減るだけですが、レストランの「タダ飯」の場合は収入がなくなるだけではなく、食材使用で実際の出費も伴います。
自動車批評だって、批評家に自動車をタダでくれてやるわけではなく、せいぜいサーキットへ連れて行って試乗させるだけのはず。レストランとは同じ「タダ」でも負担率が違うのです。
1日の売り上げの5%から10%に当たる収入減(20名から40名までのキャパの店と仮定)という大きな犠牲(タダ飯)をなぜレストランが負うのか。それは実力以上の評価を貰いたいための便宜供与以外の何物でもないのです。
まったく見返りを期待しないで「タダ飯」を提供する料理人がいたとしたら、それは慈善事業者かバカのどちらかだと考えます。
ロブションはジャーナリストが小切手を切るか切らないかで(今時はカードでしょ。古い人ですね)、意見が変わることはないと言っていますが、その根拠を示していません。意見が変わらなくてもタダ飯を提供し続けるとしたら、ロブションは経営者失格であります。
ロブションの全盛期、2つ星から3星になった当たりの「ジャマン」に山本益博氏は足繁く通ったと聞いていますが、実名を名乗り、自称ロブションと昵懇と言っている人からロブションは食事代を支払わせたのか。マスヒロさんは支払っていたのか。
日本の店でも、「ラトリエ」はじめ旗艦店の「シャトーレストラン」まですべて絶賛しています。ジャーナリストには請求しないと豪語する店にそれでも支払ったというならば、マスヒロさんは1枚くらい「領収書」を開示しても罰は当たらないと考えます。
私は「ヨイショライター」で「ジャーナリスト」ではないと言われたら返す言葉はないですけど。
友里掲示板
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問題提起
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- 2009年03月31日(火)|
「ロブション自伝」の165頁前後にロブションのジャーナリストへの「タダ飯」についての考えがしっかり書かれております。
ジャーナリストに敬意を払い(彼らの記事が客を運んでくれるからという単純な発想)、感謝の気持ちを表すためにボールペンのようなものを以前送ったら「買った覚えがない」と返されたそうです。
そこでそれ以後、ジャーナリストに贈り物はせず、料理の代金をとらない方法で「感謝の気持ち」を表すようになったというのです。
世には、「タダ飯」でも公平に書けば問題ない、といったご意見もあるようです。しかし、そこは人間の性、自分の生業の為の出費を軽減してくれる店に真にシビアな対応ができるでしょうか。怒らせたら以後「タダ飯」がなくなり取材がしにくくなる、とブレーキがかかるのが普通ではないでしょうか。
料理代(ロブションはジャーナリストと連れの2名までタダにすると言っています)は安くはありません。一回の食事で何万円にもなるでしょう。1月分に換算したら、何十万円に相当する金額になります。
飲食業界からこのような待遇を受ける人たちが、是々非々でレストランの評価を出来ると本気で考える純粋無垢な人が本当にいらっしゃるとは私は思えないのです。
私はロブションに問いたい。感謝の意を表するのに、なぜ出費を伴う(食材費や調理費、人件費など)「タダ飯」を選んだのか。感謝の手紙を書くとか頭を下げるとかほとんど出費を伴わない方法が他にいくらでもあるはず。
大箱店でない限り、一晩の売り上げを考えるとジャーナリストたち2名分の「タダ飯」が占める割合は小さくありません。何の「見返り」も期待しないでそのような犠牲を払うことはあり得ないはず。何の「見返り」も期待せず、雇われシェフが勝手にしたとしたら、それは経営者への背信行為になります。経営者が判断したとしたら、出資者や株主への背信となるはず。
ネガティヴな批判の「縛り」になると考えるからこそ、良く書いてもらって「客をより運んでくれる」ことを期待するからこその、「タダ飯」であると私は考えます。
本当に後ろめたさがないならば、「タダ飯は要求しないが、タダ飯提供は受けている」と開示する料理評論家やフードライターが一人や二人出てきても良いはずです。
後ろめたいからこそ、「タダ飯は要求していない」(タダ飯を提供してもらっているけど)と詭弁を弄しているのでしょう。
本当に「タダ飯」が問題ないというならば、「私はタダ飯でも評価に手加減はしない」と主張して堂々と胸を張ればいいのです。
昨年のマスヒロさんの「タダ飯疑惑」。領収書の公開を示唆しましたが一向に実現されていません。せめて、ロブションの店の領収書だけでも開示すればいいと思うのは友里だけでしょうか。
明日のブログは、ロブション含めて「タダ飯肯定派」が主張する、
「映画評論家や音楽評論家だって席料や入場料を払っていない」
に対する考察です。
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