ロブションはジャーナリストに「タダ飯」を出している! 2

「ロブション自伝」の165頁前後にロブションのジャーナリストへの「タダ飯」についての考えがしっかり書かれております。
ジャーナリストに敬意を払い(彼らの記事が客を運んでくれるからという単純な発想)、感謝の気持ちを表すためにボールペンのようなものを以前送ったら「買った覚えがない」と返されたそうです。
そこでそれ以後、ジャーナリストに贈り物はせず、料理の代金をとらない方法で「感謝の気持ち」を表すようになったというのです。
世には、「タダ飯」でも公平に書けば問題ない、といったご意見もあるようです。しかし、そこは人間の性、自分の生業の為の出費を軽減してくれる店に真にシビアな対応ができるでしょうか。怒らせたら以後「タダ飯」がなくなり取材がしにくくなる、とブレーキがかかるのが普通ではないでしょうか。
料理代(ロブションはジャーナリストと連れの2名までタダにすると言っています)は安くはありません。一回の食事で何万円にもなるでしょう。1月分に換算したら、何十万円に相当する金額になります。
飲食業界からこのような待遇を受ける人たちが、是々非々でレストランの評価を出来ると本気で考える純粋無垢な人が本当にいらっしゃるとは私は思えないのです。
私はロブションに問いたい。感謝の意を表するのに、なぜ出費を伴う(食材費や調理費、人件費など)「タダ飯」を選んだのか。感謝の手紙を書くとか頭を下げるとかほとんど出費を伴わない方法が他にいくらでもあるはず。
大箱店でない限り、一晩の売り上げを考えるとジャーナリストたち2名分の「タダ飯」が占める割合は小さくありません。何の「見返り」も期待しないでそのような犠牲を払うことはあり得ないはず。何の「見返り」も期待せず、雇われシェフが勝手にしたとしたら、それは経営者への背信行為になります。経営者が判断したとしたら、出資者や株主への背信となるはず。
ネガティヴな批判の「縛り」になると考えるからこそ、良く書いてもらって「客をより運んでくれる」ことを期待するからこその、「タダ飯」であると私は考えます。
本当に後ろめたさがないならば、「タダ飯は要求しないが、タダ飯提供は受けている」と開示する料理評論家やフードライターが一人や二人出てきても良いはずです。
後ろめたいからこそ、「タダ飯は要求していない」(タダ飯を提供してもらっているけど)と詭弁を弄しているのでしょう。
本当に「タダ飯」が問題ないというならば、「私はタダ飯でも評価に手加減はしない」と主張して堂々と胸を張ればいいのです。
昨年のマスヒロさんの「タダ飯疑惑」。領収書の公開を示唆しましたが一向に実現されていません。せめて、ロブションの店の領収書だけでも開示すればいいと思うのは友里だけでしょうか。
明日のブログは、ロブション含めて「タダ飯肯定派」が主張する、
「映画評論家や音楽評論家だって席料や入場料を払っていない」
に対する考察です。
友里掲示板
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