前々から疑問に思っていることを書きます。時期が時期だけに真の実態がわかるかどうか。先日ある2つ星フレンチへ行ってあらためて疑問に思ったのが、器入りのバター。
一人に1つ出てきましたが、この手のバターを全部使い切る人はほとんどいないと思います。では、半分以上器に残ったバターはどう処理されるのでしょうか。そのままほじくって捨て、器を洗浄するというのが模範解答ですが、もしかして追加を充填していないか。
ビストロでリエットを食べる時も、ふとそのような疑問が頭をよぎる瞬間があります。もし新しいものを追加で充填して別の客に出していたとしたら、「船場吉兆」の山葵やツマなどと同じ「使い回し」に思えるのですが、実際はどうなのでしょうか。
若い頃、飲食店でバイトした知人から「裏を知ったら外食できないぞ」と言われたことを思い出しました。昔と違って現在は「裏」を知っても大丈夫なことを祈るばかりです。
さて「モウラ」にミシュラン1つ星のステーキ屋「ドン・ナチュール」をアップしております。
過食のオコチャマの身内然としたバックアップをうける店なので抵抗はありましたが、結果は公平に友里としては「2つ星」。記憶では「シェ・イノ」に続く、「ミシュラン評価 < 友里評価」の珍しい店となりました。結果、「あら皮」の評価が大幅ダウンすることとなった次第です。
ぜひお立ち寄りください。
http://tomosatoyuya.moura.jp/
作成者アーカイブ: tomosato
「モウラ」更新しています
自称ノンフィクション作家・神山典士氏への最後の一言か
いやー、この自称ノンフィクション作家、出版した自著の宣伝を自分のサイトではげしくやっています。
http://the-bazaar.cocolog-nifty.com/
7/2現在、本からの長文引用を3回もやっています。こんなに一人で宣伝に明け暮れる作家を私は見たことがありません。プロファイル同様、「大仰な文調」を自ら開示してしまっていますから、これを見た人が果たして購入に踏み切るかどうか。何しろ対象者に「盲目的にのめり込んだ」立ち位置がわかってしまうし、文章に「切れ」や「メリハリ」がないのでとにかく読みにくい。
私はかえってマイナスになっていると考えます。
ところでこの自称ノンフィクション作家、料理の事に詳しくないと思っていましたが、7/1付けのダイアリーでまったく「ド素人」の発言をして松嶋啓介氏の多店舗展開を弁護しているではないですか。
読み苦しいでしょうが、まずはぜひお読みください。
今や店ヨイショ(自分のアドヴァイスを相手にしない店だけには厳しい)に徹する山本益博氏の言葉まで引用して、「シェフ不在の店」でもクオリティが落ちないと弁解しているのです。
イタリアの3つ星レストランで食事したときのこと、素晴らしい料理だった。食事後現れたシェフに、素晴らしかったと伝えると、そのシェフは言いました。料理を考えたのは私ですが、つくったのは私の部下です。彼らを褒めてください、と
しかしこれは、このシェフが「謙虚」な人だっただけの話なんですけど。
今時マスヒロさんの言葉を引用する時点で終わりでしょう。食通や外食好きにそっぽを向かれることをご存じないのか、マスヒロさんを信じる「純粋な方」だけを狙っているのか、どちらにしても賢明であるとは思えません。
つまり日々お客様を迎えてビジネスとして成立しているレストランであるなら、その料理を生み出すのはシェフの仕事でも、日々それを再現するのは必ずしもシェフの主要な仕事ではないはずなのです。
それはオーケストラの指揮者と同様です。指揮者は100名を越す演奏家の最大限の力を引き出すものではあるけれど、自ら演奏する者ではない。
確かに料理長兼主人の店の中には、料理長が自ら手を下していないところもあるでしょう。実際の調理はスタッフだけのところはあります。
でも、シェフが居るのと不在では、大きな違いが出るんですね。
まずは緊張感。そしてシェフの指揮権であります。
神山氏はバーンスタインとオーケストラの話まで引用していますが、かえってやぶ蛇。オーケストラの音は楽団員だけが出していて、指揮者はまったく演奏していません。
でも、指揮者によって同じ曲で同じオーケストラでも演奏内容が異なるから、世にはピンからキリまで指揮者が存在するのです。
また、指揮者が練習の場だけに同席して、本番でタクトを振っていないコンサートがあったとしたら、客はどう思うでしょうか。
一日や二日の不在ではなく、ニースで鍋振っている(ホールで客相手している)ならば、来年オープンするという青山の店は長期不在となるはず。このような店は、任せる「雇われシェフ」の器に見合うクオリティしか保てません。決して松嶋氏が毎日つめる店と同じクオリティを保てないという簡単な事が、「ケイちゃん」に盲目的な自称ノンフィクション作家にはわからないようです。
ムーティが辞めたスカラ座の楽団が半年後、ムーティのいた時を思い出しながらムーティ不在で演奏したとして、それで「ムーティ」の看板を掲げられるか。
指揮者が遠方からメールや電話で指示するだけで、指揮者として君臨出来るというのか。
外食をよくする人ならば、シェフ不在の時の経験があると思います。先入観も若干あるでしょうが、食後感の違いは大なり小なり感じているはずです。
かくいう私の本業も零細企業でありますが、実務は社員がやっています。だからといって、私がほとんど出社せず会社に顔を出さないで大丈夫か。アンチには「その方が順調になる」と言われるかもしれませんが、中小企業を少しでもご存じの方でしたら、私の主張は間違っていないと思われると確信しています。
つまりこの神山典士氏は、料理界だけではなく、音楽界、実業界のこともほとんどご存じないということです。
今はネット社会ですから、有名人の言葉などの引用は簡単です。しかし、それは実践や経験があってはじめて生かされること。勝手な解釈は墓穴を堀るだけであります。
しかしこの自称ノンフィクション作家、「ケイちゃん」、「ケイちゃん」と若き一つ星シェフにコバンザメのように張り付いていますが、今年でもう48歳になる立派なお年の方。どうみても軽薄さだけしか感じないのですが、癒着と共にそれがまったくわかっていないところが、神山氏の悲劇、いや喜劇といえると思います。
カシータの情報、有り難うございました
読者の方々から多くのカシータ情報をいただきました。ここにあらためて御礼申し上げます。
結構行かれたことのある方が多いのに驚きました。皆様のご意見で共通していたのが以下の2点であります。
1、 料理が良かったという感想は皆無。
2、ウリのサービスで感動して「泣いた」人も皆無。
もともと料理が凄いとか食材に拘っているとかHPでも主張していないので、この店は純粋に料理を楽しむところではないようです。
予約電話の際、同伴者までフルネームを聞かれたのが不思議だったが、着席したらナプキンに名前が刺繍されていたので理解できた。
一回の訪問で名前を何十回も連呼される。
名刺交換したら、デザートの皿に会社のロゴをチョコで書いてくれた。
などなどサプライズ系のサービスがお得意のようです。
テラスでの派手なハッピーバースデーも人気だとか。
2万円以上払って購入したカシータオーナーのDVDは未だ封を切らないまま卓上に放置。皆さんの情報を聞いてしまうと、底の浅いホスピタリティのようで、時間がムダな気がして見る気がしません。
料理を自慢している店ではなく、客も喜んでいるのだから問題視する必要はないとのご意見もいただきました。
なるべく早く、料理だけではなく「泣けるサービス」を体験しに訪問してみたいと思います。






