大阪のディープな一夜

株とスポーツの予想はまったくアテにならない友里。どうやらプロ野球でも予想を外しそうです。
祐ちゃんこと斎藤佑樹選手、プロの世界で通用しそうではありませんか。イニング数は短いですが、数度の登板で自責点どころか失点がゼロ。球威なし、性格良すぎ(単なる世渡り上手)でプロではまったく通用しないと思っていただけに、このままでは友里のメンツが丸つぶれであります。
あの辛口の広岡さんも週刊誌で

一勝も出来ない

と太鼓判を押していたので安心して予想したのですが、このままの状態で公式戦に突入したら、一勝どころか勝ち続けてしまうのではないかと心配であります。

まあ球界の総意で新しいスターをつくろうと、相手チームが片八百長をしているとは思いませんが、大学時代の後半、六大学やアメリカの大学生に結構コテンパンの打ち込まれた事実を考えると、あの球威でやっていけるのが不思議であります。
日本のプロ野球のレベルが実は低いということなのでしょうか。

さて先日関西へ出張に行った際、大阪のディープな店へ連れて行ってもらいました。東大阪の地区だと思うのですが、一見不可で予約殺到の内臓専門の焼肉店。
主人のユニークなキャラも有名だそうです。一見客不可の店なので、具体名や具体的な場所は勘弁下さい。

事前にある程度説明を受けておりましたが、ここまで狭い店だとは思わなかった。カウンターに座ると店の引き戸が背中に当たるほどスペースがない。そして隣客とも干渉するので、体を半身にして座らなければなりません。縦にも横にも窮屈なんですね。コートもビニール袋に入れて(匂いがつくので)足下に置くシステムにも驚きました。

おトイレも周辺の店と共同と言いますか、鍵をもって外に出るシステム。中野坂上時代の「さわ田」を思い出しました。そう言えば、ハワイの小さなショッピングモールもこのシステムでありました。
主人も一緒にビールをバンバン飲みますので何回も外へ出て行くのですが、その光景も予想を超えたインパクトがありました。?

内臓肉以外にあるのは酒類の他はキムチだけ。ジャーが小さいので大人数の場合は白飯が足りなくなるかもしれません。

肉ですが、生タンから心臓、肝、そして焼き物としてはツラミ(頬)、マメ(腎臓?)、ミノ、タン元、ハラミなどを塩味で楽しみ、最後はタレ味のハラミとご飯(持ち込み)でお腹一杯となりました。
常連の中には、DRCなど超高額なワインを持ち込む方も多いと聞いたこのディープな焼肉屋。
大阪は、過大評価なフレンチや和食だけではなく、もっと安くて面白い店があったと知った楽しい夜でありました。

そう言えば昨年末には、尼ヶ崎のトンデモ高額居酒屋へ連れて行ってもらいましたっけ。京都でまともな京料理を食べる以外、関西ではフレンチ、イタリアン、江戸前風鮨、そして和食はコラムネタを考えなければ興味なし。この手のディープなお店が一番です。

おまけ。
東京では美味いと思うトンカツに巡り会えない友里ですが、八尾の人気店は美味しかったです。フレンチもトンカツも「低温調理」はダメ。しっかり(強火で)火入れしたものが一番です。

何でそんなに儲けようとするのか

アメリカ国務省の日本部長の発言が大きな波紋を広げています。

沖縄の人はごまかしとゆすりの名人

侮辱以外のなにものでもないですが、私は大騒動するようなものではないと考えるのです。友里と同じく、新聞やTVもネタ不足なのか。当たり前のことにここまで過剰反応するとは純粋すぎないか。?

ここでまず確認させていただきますが、私は沖縄の人の「ごまかし」や「ゆすり」が当たり前と言っているのではありません。沖縄料理を評価しない友里ですから誤解をされないようここに強調させていただきます。
今回の日本部長の差別的、侮辱的な考えは

アメリカにとっては本音で当たり前のことではないか
なんで今更驚いているのか

とゆうておるのです。
普段は尻尾振るポチの日本が珍しく怒ったからか、米大使や国務省高官が謝罪の言葉を発したようですが、腹の中では謝っていないと私は考えるのです。

己の事しか考えないアメリカ

貿易赤字を解消するためか人権だ、民主主義だ、とさかんに「輸出」しておりますが、それは己の利益を最優先に考えてだけのこと。外交、特に中東政策では、己の利益になる政権には人権と民主主義を引っ込めるなどその二元性をみると如何に自分勝手かがわかるというものです。
マルコスしかり、ムバラクしかり。利用するだけ利用して(その替わり好きにさせますが)、いらなくなったら逃げ足早い。リビアの反体制派を応援するため、サウジの「体制派」に武器援助を要請するなど、アメリカの辞書には

矜持

という言葉がないのでしょう。
アメリカは「己の国さえ最後まで生き残れば良い」という考え(でも国としては当たり前でもあります)で、世界の警察官でも紳士でもない。どちらかというと、その筋のような考えと戦略をもっている国と考えた方が自然であります。

アメリカこそ、ごまかしとゆすりと恫喝の名人

と私は考えます。

今朝の日経に、トヨタが再び

1兆円超

の営業利益を目指すとありました。売り上げが1兆円ではなく、営業利益の数字でありますから驚異的な決算と言えるでしょう。
リーマンショックからわずか数年で立ち直ったその企業努力には感心するのですが、私は

なぜそんなに膨張したがるのか

理解できません。膨張し続けなければこの業界で生き残れないと言われていますが、そんなことはない。各業界は再編されていますが、それでもトップ1社しか存続できないわけではないのです。自動車業界に目を向けても、フェラーリのように

世界にファンが○千人いれば充分

というメーカーもあるわけです。このトヨタの営業利益1兆円は

仕入れ業者の協力(早い話が買い叩き)
ユーザーの応援(早い話が粗利乗せすぎの車を知らずに買っている)
現場社員の愛社精神(早い話が給料押さえ込み)

から成り立っているだけのこと。買い叩き、粗利乗せ、現場の給料抑制も企業努力と言ってしまえばそれまでですが、己の利益を増やすことを考える前に

役員報酬だけではなく、仕入れ先への買値や現場社員への給与を厚くする

という考えが思いつかないのか。仕入れ先は「生かさず殺さず」としながら自分たち(役員)は

高額報酬と何機もある大型自家用ジェット

がもらい放題、使い放題。税収不足なんですから、この1兆円をポンと国へ寄付するくらいのことをしても、罰は当たらないと私は考えます。

スケールは小さいですが飲食店業界もこの膨張志向がとまりません。ひらまつ、ワイズ、グラナダ、WDIなど提供する料理の質を向上させるのではなく

売り上げと利益を如何に増やすか

しか考えていないとしか思えないのです。アメリカの自己中心の考えを批判する資格が日本にあるのか、私は疑問であります。

イタリアンって何なんだ?

前原誠司氏の外相辞任、今回は一回休みでダメージを最小にとどめ近い将来の復活を狙っていると言われていますが、これで幕引きされて良いのでしょうか。
石原都知事も「彼は自業自得」と言っていましたが、偽メール事件の対応にしても、小沢追い込みにしても、全く稚拙。小沢氏にとことん「説明責任」を要求した人ですから、ここは国会でしっかり

暴力団のフロント企業からカネを受け取っていた
八ツ場ダムの入札に絡む企業からもカネを受け取っていた

件に関して説明してもらいたいと思うのですが、前原氏は小沢氏と違ってマスコミと敵対していないだけに、新聞やTVは見逃すのではないかと心配です。

前から言っておりますが、世間常識(裏金が銀行振り込みされると信じていた)がなく、まともな家庭教育(40歳になるまで父親の本当の職業を教えられなかった)を受けておらず、自分の生き残り(永田氏を見捨て自分はすぐ復活)しか考えない自分勝手な人間を慕う国会議員が50人もいるという民主党。
こんな人が次期総理の第一候補だということは、民主党には

まともな人材が皆無

であるとしか考えられません。いや、こんな前原氏を担ぐということは民党の国会議員はアフォばかりと言うことでしょう。それに加え、地元選挙区にはまともな対立候補がいないと聞きまして私は驚いたのです。

昨晩、ある会食で前原氏の地元の方とお話しする機会があったのですが、「色々とダーティな面が吹き出て、前原も次の選挙は危ないのでは」との問いかけに

彼は人気があるので絶対当選する

との即答。民主党の人材不足に加えて地元選挙区での対立候補不足。これだけではなく、地元選挙民の民度のレベルを知って私の落胆は増大したのであります。
辞任に際して、アメリカ、特にクリントンが最大限のエールを前原氏に送っているようですが、これはアメリカにとって前原氏が

とても扱いやすくアメリカの国益に有効な人物

と言っているようなもの。アメリカに厳しく、日本に有益な行動をとっていたら、アメリカはこんなコメントは発信していなかったでしょう。
良い交渉人は、利害が相反する相手側に嫌がられるもの。好かれてどうするんだと私は日本国民に訴えたい。?

さて先日、京都はあの赤いちゃんちゃんこ、もとい、赤い衣装がお好きな店宣伝ライター・関谷江里さんが絶賛しているイタリアンへ行ってきました。
彼女が絶賛しているだけにそれなりの覚悟と予想をもって入店したのですが、田町の「ラチャウ」以上に期待通りのお店であったのです。
バーニャカウダの野菜や肉料理の鴨コンフィや白金豚が

鶏の餌みたいな小片

なんです。バーニャカウダなんて、箸でつまんでバーニャカウダにつけなければ食べられない。箸使いが出来ないオカザワなら食べるのが大変ではないか。
どの料理も個性というかプロとしての主張を感じるものがなく、

限りなく家庭料理の延長線

でありました。うーむ、これが京都のイタリアンスタンダードなのか。
「ラチャウ」のピエモンテ料理に、この店の自称イタリアン、私はあらためて

イタリアンとは何ぞや?

と考え込んでしまったのです。南の方はほとんど経験がありませんが、真ん中から北の方は、それなりに訪問経験があると自称している友里。特にここ数年は毎年アルバへ行っているのですが、日本でイタリアンを経験するたびにイタリアンの定義(フレンチの定義もよくわからない)がよくわからなくなります。最近は、パスタを用意して

うちはイタリアン

と自称しさえすれば、看板を掲げることが出来ると言うことでしょうか。
パリやローマで、日本での修行経験なくお米を用意しさえすれば

日本料理店

と自称してしまうのと同じだと思います。特に京都はイタリアンにイタリア修行のシェフを必要としていないのではないか。ギオットーネにしてもこの店にしても、まったくイタリアの雰囲気を感じないのがその証左であります。
しかし、京都でまったく修行せず、東京で

京料理

の看板をあげて客がくるとは思えません。アロマフレスカの盛況をみるにつけ、京都に限らず東京の自称イタリアン好きもイタリアンにイタリア修行のシェフを求めない不思議。

また京都や東京に限らず、欧米ではフレンチもスパニッシュもイタリアンも何が何だかわからなくなってしまっております。

食材の再構築

とか称して、地元色や食材そのものを目茶苦茶、もといバラバラにした奇想天外な料理を世界に発信してしまった「エル・ブジ」のフェラン・アドリア。彼の罪は重いと私は考えます。