言い訳が矛盾しているよ、関谷江里さん

「ぎをん か波羅」の見苦しい宣伝行為に突っ込みメールが殺到したのでしょうか。関谷江里さんが自身のブログで、それらしき「弁明」をされています。
まずは4/29付けの「少し述べます」をお読みください。
http://erisekiya.cocolog-nifty.com/kyototokyo/2008/04/index.html
はっきり「ぎをん か波羅」の宣伝行為についてと明示していないので、何の言い訳をしているのかわかりません。当然内容もそれを避けながらの弁明ですから難解で何が言いたいのかさっぱり?
要約すると、

「私は2枚舌です。ライターとして雑誌で書いている内容と、このブログの内容は違います。雑誌は編集者など上の意向で内容がコントロールされる。このブログは私が本気で言っていることばかりです」

となりますか。
文中では「公平な食評論」をしているなんて言っていないと開き直っていますが、「個人的志向(嗜好ではありません)で提灯記事を書いている」とも言っていないではないか。
偏りやバランス感覚のなさを認めながら、「ライターとしての信憑性がない」と言われることに反発する関谷さん。雑誌でのライター稼業では、出版社などの方針のもと、自分はただのパーツとして部品を提供しているだけと逃げを打っていますが、そんな「逃げ腰」でいいのでしょうか。
門上武司さんたちへ救いの手を求めているように見えてしまいます。
裏表、もしくは二面性を出すパフォーマーは世にいくらでも存在します。
たとえば、DJオズマ。グループのボーカルでは別名を名乗っています。
ベビーとヒール(覆面)の両役をするプロレスラーもいましたが、リングネームは変えていたはず。作家でもペンネームを使い分けていた人がいたと記憶しております。
つまり、「出版社への飛び火」を恐れて、雑誌のライターである関谷江里とブログの関谷江里は違うと詭弁を弄するならば、ブログは別の名前でやるのが筋ではないか。
週刊文春などでライターとして売れた名前をそのまま使って、自分のブログで報酬くれる店の「宣伝」をしまくっている行為は、モラルに反していないのか。
「ぎをん か波羅」のオーナーだって、雑誌ライターとしての関谷江里のネームバリューを利用したいからこそ、宣伝スタッフに雇い入れたのではないか。
別人だったら声もかけてくれないでしょう。
今更別人だと言い張っても、誰も認めてくれませんよ。
だいたい雑誌とブログの内容は「ヨイショ一辺倒」で違いあるとは思えません。唯一の違いは、雑誌では未だあからさまに「ぎをん か波羅」の宣伝をしていないだけ。
誰も公平な食評論を彼女に期待しているわけではないですが、抗議メールを送った方たちは、ライターと同じ名前でせっせと「店宣伝」に勤しむ関谷江里さんのスタンスを批判したんだと思います。
「食ライター」で生業をたてていこうと考えた瞬間に、誰でも彼女のようなスタンスになってしまうのでしょう。
過食のオコチャマ、元弟分だった麻生玲央氏、元ジバランの嶋啓祐氏なども同じ道を突き進んでおります。文字通り食ライターとして「食べて行く」には、偏りやバランス感覚など関係なく、店ヨイショに徹しきるしか今の日本には選択肢はないのかもしれません。
愚痴になりますが友里征耶は大赤字で貯蓄が減る一方、反面、他のヨイショライター(伊藤章良氏は露出が少なく本業があるので除外)は本業があるとは思えないのに毎日豪華に食べ歩いてヨイショ連発。
「さとなお」さんが誘惑に負けてスタンス変更した理由も少しは理解できるというものです。