服部先生のどこが問題なのか

9/6のブログを最後に服部先生が「決断」してマスコミにカミングアウトするまで黙っていようと思っていたのですが、読者の皆さんから友里の考え方やスタンスについて疑問視するメールを数多くいただきました。文章力がないからか、いろいろと誤解されていると思う部分もあり、詳細にお返事差し上げたのですが問い合わせの数が多くなってきましたので、本日のブログにまとめて述べさせていただき、読者の皆様にご理解いただきたいと思います。問題点と指摘された点は以下の2つに集約されますので、説明させていただきます。
1、服部だろうと染谷だろうとどちらでも良いではないか。公人とはいえ「出自」を暴くのはいかがなものか。
私は「服部幸應」がビジネスネームであり本名が「染谷幸彦」であるだけなら、何ら問題提起しません。友里征耶だってペンネームですからね。単なる出自を暴いて、ビジネスネームだからいかん、と言っているのではありません。
服部先生のカミングアウトがあるまで真相を書くことは避けたいのではっきり書けませんが、私が問題にしている点は、服部先生が最近まで自分の権威付けのために周囲やマスコミに触れまわっていた、
? 武士の出陣の際の料理や作法を教えていたという永禄4年(1561年)から続く「服部流割烹」というものが本当に存在するのか。
? 明治維新後、次々に入ってきた外国料理でカルチャーショックを受けた一般人をケアするため服部先生の祖父が明治に料理学校を開いたことになっているがそれは本当なのか。
? 実妹の服部津貴子氏は本当に「服部流割烹17代家元」なのか。
ここまで細かく挙げてしまうと、私は6日に「衝撃の真相」と述べていますから結論はわかっちゃうかもしれません。
単なる出自を問題にしているのではなく、服部先生が今日の名声を得る上で少なからず助けになったこれら「物語」の真偽を問題にしているのです。仮にまったく違うのであるとしたら、それは許されることではないと考えます。
例えて言うならば、この友里が
「友里の先祖は戦国時代から藩主や宮廷の食に大きくかかわってきた。謙信が信玄に送った塩も友里家が用意したもの。秀吉に利休を紹介したのも先祖である。そして家康に天婦羅をはじめて紹介したのも友里家であります。平賀源内をつかって江戸にウナギの蒲焼を普及させたのも友里家。また、わたくし・友里征耶は、あの魯山人から『私の唯一の後継者は君だ』と言われた」
と世間に吹聴して友里の権威づけに利用しているようなものです。今さら検証できない、「言った者勝ち」の話ですが、当然架空のホラですから糾弾されて当然であります。
服部幸應氏だけがこのような架空の脚色物語を許されて、友里だけが許されないはずがありません。
2、なぜ真相をブログですぐ公開しないのか。メールでやりとりしているようだが、これでは密室取引ではないか。裏取引したのか。
最初にメールを出したのは友里であります。読者が調べた結果などを質問形式にして確認したかったからであります。まさか返事が来るとは思いませんでしたが、その内容が全面的に認められていたので「衝撃の内容」とさせていただきました。
教育者であるだけでなく、数ある政府部会の委員、業界団体の要職、NPO活動などで最近は「食育」にも力を入れ、叙勲まで受けている「公人」なのでマスコミへ真相の告白を勧める内容などのメールを4回送り、その後、服部先生からは告白に消極的なお考えと受け取れる内容のメールが1本きただけでやり取りは終わっております。
決して取引など密室交渉をしたわけではありません。服部先生の立場を考え、他人から真相を暴露される前にカミングアウトを勧めたため、私のブログで積極的に開示することを避けたのであります。
ここまで私なりに配慮してきたつもりですが、夕刊紙だけではなくいくつかの週刊誌も取材を始めたとも漏れ聞いております。
ここまで来てしまっては、服部幸應先生の「潔い決断」で収束するしかないのではないでしょうか。ここまでバレてしまってシカトはもう無理であります。
色々服部先生を利用して仕事をしてきた放送作家や取り巻き連中だけではなく、法律の専門家とも相談して、適切な対応を取られることを望みます。
「服部幸應先生、進退きわまっております。ご決断願います」の非常事態であります。