政治屋は一度やったらやめられない?

数寄屋橋の二郎さんではありません、小野次郎氏。警察官僚から小泉さんの首相秘書官になったのが人生の分かれ道だったのでしょうか。昨日、落選中の身でありながら自民党からの離党を宣言しました。選挙区の支部長に選任されず、次回の国政選挙に出られるかどうか、宙ぶらりんな状態に痺れを切らしたのでしょう。
しかし御年56歳、私より年上の方ですが「やり直す」という選択肢はなかったのでしょうか。

首相秘書官にさえならなければ、いや、郵政民営化が参議院で否決さえされなければ郵政解散はなかったでしょうから、代議士先生の魅力に取り憑かれることはなかったのではないか。秘書官のまま職責を全うし、小泉さんが首相を退任してまた安定した国家公務員生活に戻ることが出来、定年後も安定した天下り生活が出来た可能性も高かったはず。
落選した身で、毎日誰も立ち止まって聞いてくれない辻立ちをしなくても良かったでしょうし、貯蓄を減らす、借金を増やす、といったこともなかったでしょう。

私だったら、4年間だけ「先生」になれて良い経験をした、話のタネを沢山仕入れることが出来た、と落選したらさっさと引退すると思うのですが、一度味わった蜜の甘さが忘れられないほど「政治屋」という職業は魅力的なものなのでしょうか。
国会議員は自転車操業というのでしょうか、当選し続ければお金が回ってきてそこそこ良い生活が出来るのでしょうが、途絶えてしまうと資産家でない限り生活が苦しくなるようです。
みんなから「先生」と呼ばれ見栄をはることが出来、自己顕示欲も満たされ収入も安定する国会議員。一度やってしまったら、地道な職業に戻れないのでしょう。

片山さつき氏は高級官僚の職を投げ出し、佐藤ゆかり氏も外資系の職を投げ打って現在落選中。彼女らは未だ若いし経歴や才能も立派なようなので、いくらでもやり直しが利くと思うのですが、国会議員としてのやり直ししか考えていないようで私には不思議でなりません。
ラッキーで間違って代議士になった、良い経験をさせてもらった、と気楽に考えることは出来ないのでしょうか。こう言っては何ですが、一時的な見栄や自己顕示欲と引き替えに、蟻地獄に嵌ってしまったように感じるのは友里だけではないしょう。

本来なってはいけない人やなるべきでなかった人が代議士になってしまった「郵政選挙」、杉村太蔵氏が代表格でありますが、小泉元首相とともに、純粋な読者に自民党投票を呼びかけたさとなお氏、彼らの人生を狂わしてしまったようで、罪は重いと言っても過言ではありません。
そう言った意味では、今回の小沢チルドレンも同じような運命を辿るのでしょうか。4年後に落選したら、さっさと引退して人生をやり直す選択肢も考えていただきたいと考えます。