地元の人は「変化球」を求めている?

最近読者の方から、京都在住の外食好きの方が友里が美味しいと思っている店について否定的な意見を言っていたとのお話をいただきました。
本業で関西方面へ出かける割合が多い私は、関東地区在住の一般客より京料理を食べる機会が多いかもしれませんが、所詮よそ者でして「観光客」の一部のようなもの。これが真の京料理というものがあるのかわかりませんが、自分の嗜好はフレンチやイタリアンと同じく、いわゆるクラシック志向であります。
オーソドックスと思われる食材と調理法の融合の中でも、優劣が大きくつくと思っているのですが、ある方のご意見で私はそのとき瞬間的に「膝ポン」してしまったのです。
要は、京都在住の方がわざわざ外で食べたいと思う料理と、我々部外者が京都に行って食べたい料理が、そもそも同じ方向性のものでよいのかと。
何が「本物」かは意見の分かれるところでありますが、観光客(あまり食べる機会のない人)は「本物志向」、普段から慣れている人は「変化球」を求めるのではないかというのです。ここで言う「変化球」は「創作系」のことだと思います。
だから世には、クラシックと創作の店が共存しているとも言えるのですが、そうなると疑問なのが「江戸前鮨」であります。
東京の人は「創作系寿司屋」ばかりを好んでいるのかと言いますとそうでは無いような気がします。内容はさておき「老舗」の店を好み江戸前系の毎日鮨屋通いをしている東京在住の鮨好きの方がいらっしゃるくらいです。
東京在住の鮨好きの方がこぞって「海鮮系」や「創作系」の寿司屋へ通っているとはあまり聞いたことがありません。
それは毎日鮨を食べられる特異体質(資金的にも特異)な方は別にして、東京在住といっても普通の人は鮨を食べる機会が少ないことに起因しているのかもしれません。機会が少ないので東京在住でも食べるときは「江戸前」を好むと言うことでしょうか。
よく考えてみますと、外の料理と家庭の料理は同じ地域でも全く別物のはず。フランス人が皆毎日、星付きレストランやビストロで提供される料理を食べているとは思えません。イタリア人しかり、スペイン人も。
よって京都在住の方でも普段食べられている料理と外での料理の傾向は違うはずですから、単なる慣れすぎで「変化球」を好むというのもちょっと説得力に欠ける気もしてきたのです。
本日は何を言いたいのか書いている最中で自分でもよくわからなくなったのですが、結果的には「料理に対する人の嗜好はそれぞれ」ではないか。
食べ慣れようが食べ慣れまいが、好きなものは何回でも食べるでしょうし、好きでないものはたまにしか食べなくても美味しいとは感じない、というのが結論であります。
自分の嗜好に似た人の意見だけしか参考にならない、副業とはいえ更なるマスコミ露出を目指す友里でありますが、私の嗜好が偏っているとのご意見も多いことから、マスコミへの露出も限界があるかもしれません。
友里掲示板
http://tomosato.net/bbs/