前ブログの追加説明です

アマゾンのレビューの指摘に対する回答はかなりの長文となってしまいました。大変読みにくいものになってしまったのではないかと反省しております。
私も読み返しまして。肝心の言いたいことが抜け落ちていると判断、今日は簡単に追加と言う形で書かせていただきます。
なぜ覆面(実際はかなりバレていますが)を通すのか。一般客と部位の違い、量の違い、調理の違いのある料理を食べてその店を評価しても一般読者にはまったく意味がないからです。普段は冷凍マグロを出す店が、生鮪を出してくると考えてください。支払いは一般客と同じですから、生鮪と判断すればCPは良いと判断してしまう可能性があります。「小手先の料理」とわかっていても、「一般客に出す料理」を知らなければ、普段の料理を知らなければ公平に評価できるわけがありません。
鮪の冷凍、生の例えは極端にしても、良い部位の大きなポーションで調理された料理は、普段の料理と違います。その小手先をかえた料理をいくら食べても、普段一般客に出す料理を食べてみなければ、神やお釈迦様でない限り、一般客向けへの評価は出来ないのです。化学調味料使いすぎもわからない、もともと味がわからないマスヒロさんですが、特別待遇食を食べているので余計彼のコメントと一般客として訪れた皆さんの食後感が異なる理由がここにあるのです。
和食屋で出る天然鰻の焼き物が美味しいと感じた経験はありますが、鰻屋ででるお椀や炊き合わせなどが美味しいと思った経験は思いつきません。和食の厨房でのポジションは、追廻は別にして焼き方の上が煮方となるはず。まずは焼きの技術を会得してから出汁など煮物の技術を覚えるのでしょう。焼き物一つにしても鰻だけではありません。鮎あり、グジあり、よって串打ちの仕方も何種類も覚えなけばなりません。鱧の骨きりも難しい技術です。お椀もタネの違いでバリエーションは相当なもの。肝吸い1種で事たるものではありません。よって、鰻で10年かかるようでは、和食は100年かかると発言したわけであります。専門の技術、奥義を追求する姿勢は認めます。鰻だけに関しては和食の料理人より上かもしれません。ただ、だからといって過大に自慢するものではないと思うのです。
和食の修業だけで鮨屋を開いた料理人はいるようですが、鮨屋の修業だけで和食屋を開いた料理人の存在を私は知りません。確かに、「鮨」自体を比べたら、和食ででる握りは劣ると思います。やはり専門に勝るものはありません。
あくまで、覚える技術の量、範囲を揶揄したものであるということです。どんなジャンルの料理、いや仕事でも一所懸命な方が一番。暴利をむさぼる、客を舐める、天然鰻偽装のように言っていることとやっていることが違う、そんな料理人を指摘しているとお考えいただければ幸いです。