再び「裁判員裁判」について

大原麗子さんの孤独死、驚きました。私の年代の方達にはあの甘?い語り口が記憶にあるはず。耳元で自分にだけ語りかけてもらいたいと思った人は多いのではないでしょうか。
最近さっぱりみかけないと思っていたのですが、闘病生活をしていたというのも意外でありました。
あれだけの人の死が2週間わからなかったとは寂しい限りです。
さてここ数日、「裁判員裁判」の進行模様がTVで盛んに報じられています。今年5月から制度が始まったと記憶していたので、とっくにやっていると思っていました。これが初めての裁判だったとは意外です。
TVでは判決の量刑などについてコメンテーターなどが発言していますが、私の見方はちょっと違います。
そもそもこの「裁判員制度」の目的は何なのか。専門の判事達だけではなく、一般目線、一般常識の人たちの判断が必要とされるならば、今の制度は中途半端ではないでしょうか。
裁判員の参加は一審だけです。上告されて二審(高裁)へまわったら、また専門判事だけの判断になってしまいます。一審の判決がいとも簡単に高裁でひっくり返されるのは民事とは言え私への「名誉毀損訴訟」でも実証済みです。
裁判員制度の真の狙いを考えたら、高裁や最高裁でも一般常識の導入を図るのがスジだと私は考えます。
プロの間では、「一審で素人がどんな判断をしてもらっても結構、最終的には我々プロが二審で判断するから関係ない」といった考えもあるようです。
TVなどマスコミには、一審の判決だけではなく、「裁判員」が参加した裁判の「高裁」での判決結果や判断理由をしっかり検証してもらいたいものです。
専門知識だけのプロたちが、どう量刑や判断を変更するかを国民に知らせることが重要です。
本来の意味から考えると、刑事事件のごく一部にだけ「裁判員」を導入するのではなく、民事も含めてすべての裁判に一般常識をもつ裁判員を参加させるべきではないか。
私への「名誉毀損裁判」に食通の方や食べ歩き好きの方が裁判員として参加していたら、結果は違ったかもしれないな?、と一人空想しております。
最後にお知らせです。
アンチの方や古川修氏は名誉毀損が確定したことにより、友里征耶の仕事がなくなること、もしくは彼らの目指すスタンスへの修正をお望みだったかもしれませんが、残念ながらそのお望みはかなわないようです。
http://s04.megalodon.jp/2009-0529-0651-06/superlife.at.webry.info/200905/article_15.html
9月2日発売の日刊ゲンダイから、週2回(月と水)の「行っていい店わるい店」のコラム再開が決定しましたことをここに報告させていただきます。
「オオカミが来た」と言われるかもしれませんが、昨年から発信していた「新書」も年内出版が決定したようです。
アンチの方、古川さん、そして陰でコソコソ暗躍されている「ずこ」さん、申し訳ありませんがスタンス不変でもニーズはまだまだあるようです。
友里掲示板
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