住めないのに住めると言った方が良いのか

不用意な発言で菅さんがさらに追い詰められているようです。

原発の周辺は10年、20年住めない

との発言に地元の首長だけではなく、与野党からも批判が集中。本人は慌てて発言を否定しています。菅さんの肩を持つわけではないですが、批判する人たちに私は問いたい。

この状況で近々に戻って来られると思っているのか

またまた原発の敷地内でプルトニウムが検出されたとの報道がありました。

http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20110414-OYT1T01048.htm

噴出したプルトニウムが都合良く原発敷地内だけに舞い降りたと考える人がこの世にいるでしょうか。原発敷地以外にも降り注いでいると想定するのがまともな人の考え。当分住めなくなることをはっきり「住めなくなる」と言ってどこが悪いのか。国内だけではなく海外からも

隠蔽せず情報を開示しろ

と政府に求めているのに、居住に関しては本当の事を聞きたくないという人が多いのが私には不思議でなりません。
確かにそのような重大発表はTPOを考えなければならないでしょう。参与だかなんだかが、記者の前で気軽に漏らす問題ではありません。でも私は

住めないのに住める

と言わんばかりに、居住問題の見通しを先送りするよりはマシであると考えます。「住めないのに住める」というのは逆に罪ではないか。

厳しい現実を見たくない、聞きたくない

と思う純粋無垢な国民が多いから、政府や権力者は調子に乗って

事実を隠蔽

してしまうのだと私は考えます。

さて、昨日の友里ブログに対応したわけではないでしょうが、東芝のトップが、計画の遅れは認めながら今後の業績で強気の発言をしています。?

http://www.sankeibiz.jp/business/news/110415/bsg1104150501000-n1.htm?

確かにトルコやベトナム、フィンランド、アメリカ・テキサスの原発建設は現時点で撤回されていませんが、今後順調に進めるとの発表もありません。この状況では、良くても5年単位以上の遅れが出るのは普通の考えではないか。国内の原発新設なんて10年は凍結されると私は考えます。
また私の予想通り、首長は停止している原発の運転再開に慎重です。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110414-OYT1T00952.htm

地震で運転を停止したけど充分な保守・メンテで運転再開を待っている原発でさえ再開に慎重な首長。
これから法で決められた点検のために停止する原発は例外で運転再開にゴーサインを出すというのでしょうか。選挙で選ばれる首長が、そんな整合性のない判断をするとは思えないのですが、楽観的に考えていてよいものなのか。

「原子力事業の売り上げは総売上の9%程度で事業が1割減少しても全体に与える影響はわずか0.9%しかない」(読売新聞)との記事もありましたが、私は2つの疑問があるのです。

新設の計画も凍結か大幅に遅れることが予想される中、原発の運転再開が心配されていること、東電の懐事情が芳しくないこと、原発より火力、ガスターピン、水力の立ち上げを優先しなければならないこと、などから東芝だけではなく日立も含め

原子力事業の売り上げ減少が1割程度で止まるのか

世には希望と現実には大きなギャップというものがあるからです。

また企業は売り上げも重要ですが、利益も重要であります。売り上げの割合が少ないとしても、利益率が非常に高く総利益の多くを稼ぎ出しているとしたら、利益に関してはその事業の売り上げ減少率の何倍もの

負のインパクト

を与えてしまうというのは、経理屋ではない理系の友里でもわかることであります。

避難区域を過小に想定してから徐々に広げてしまう政府の判断に批判が集中しております。
ネガティブなことを過小に考えたい気持ちは理解できますが、まずは余裕を持って厳しく算定することがリスク管理と言うものではないでしょうか。