ライターと取材対象者との距離について

飲食店のガイドや評価をするライターと取材対象である店経営者、食材業者、料理人との関係を一般読者はどのように考えているのでしょうか。
最初から店、料理人との親しさを前面に出して、権威に弱い「純粋な読者」を信奉させ支持を得ようとするライターは多い。一般人より食べ歩いている、これだけ関係者と親しい仲である、自分は産地までわかる舌の持ち主である、と自慢することにより読者の信用を勝ち取る手法であります。「あの人は我々とちがって店や料理人も一目置く凄い人だ」と一般人に思わせることにより「純粋な読者」を取り込みたいのでしょう。
また、デビュー当時は読者の立場で店や料理人を評価していたのに、いつの間にかスタンス変更して店ベッタリ、ヨイショしまくりのライターになってしまった人も多い。というか、ほとんどのライターが最終的には店・料理人に取り込まれてしまっているのが現状であります。
なぜ、ライターはこうなってしまうのか。ここには、巷でよく言われる「食事は楽しむものであって、アラを探すものではない」という考えが免罪符になっていると思います。友里のように、入店して店のアラを探し出しながら食べるのは悲しいことだ、どうせなら楽しんで食べるべきだ、という話です。確かに料理人やスタッフと親しくなって盛り上がりながら食べたら、それは楽しいでしょう。しかし私は言いたい。ただ自分が楽しんで食事するだけなら一般客に徹し切り、ライター稼業をやめろ、と。ライターは副業とはいえ印税や原稿料をもらう仕事のはずです。仕事なんですから、楽しむだけでなく時には嫌な目にあう、苦しみながらも遂行するというのが本来あるべき姿勢ではないでしょうか。
ブログで食べ歩き日記を書いている人は別にして、本を出版し、雑誌などに原稿を書いているライターが、ただ「楽しみたくて」店や料理人と仲良くなってしまって良いものなのかどうか。冷静に考えれば誰でもお分かりいただけることだと思います。
評論家やライターが取材対象者と親しい関係である現象は、他の業界でも見られることだと思います。しかし、その親しさを公然と自慢するのは、この飲食店評論家と政治評論家くらいではないでしょうか。政治評論家が政治屋と親しい関係にあることを自慢している場面を何回も見たことがあります。私だけに語ってくれたと、その政治屋のスポークスマンになり下がってしまった人もよく見ます。飲食店ライター・評論家と同じで、一般客がとても親しくなれない取材対象者との関係を自慢することにより、自分をより権威付けすることを狙った古典的な戦略であります。
要は「出来レース」と言えるのですが、これは読者の中にはそれを望んでいる(すごいなーと感心したい)人もいるからこそ成り立つ戦略でもあるのです。
「純粋」な読者や視聴者がいるかぎり、御用評論家、ヨイショライターはなくなりません。