イタリアンって何なんだ?

前原誠司氏の外相辞任、今回は一回休みでダメージを最小にとどめ近い将来の復活を狙っていると言われていますが、これで幕引きされて良いのでしょうか。
石原都知事も「彼は自業自得」と言っていましたが、偽メール事件の対応にしても、小沢追い込みにしても、全く稚拙。小沢氏にとことん「説明責任」を要求した人ですから、ここは国会でしっかり

暴力団のフロント企業からカネを受け取っていた
八ツ場ダムの入札に絡む企業からもカネを受け取っていた

件に関して説明してもらいたいと思うのですが、前原氏は小沢氏と違ってマスコミと敵対していないだけに、新聞やTVは見逃すのではないかと心配です。

前から言っておりますが、世間常識(裏金が銀行振り込みされると信じていた)がなく、まともな家庭教育(40歳になるまで父親の本当の職業を教えられなかった)を受けておらず、自分の生き残り(永田氏を見捨て自分はすぐ復活)しか考えない自分勝手な人間を慕う国会議員が50人もいるという民主党。
こんな人が次期総理の第一候補だということは、民主党には

まともな人材が皆無

であるとしか考えられません。いや、こんな前原氏を担ぐということは民党の国会議員はアフォばかりと言うことでしょう。それに加え、地元選挙区にはまともな対立候補がいないと聞きまして私は驚いたのです。

昨晩、ある会食で前原氏の地元の方とお話しする機会があったのですが、「色々とダーティな面が吹き出て、前原も次の選挙は危ないのでは」との問いかけに

彼は人気があるので絶対当選する

との即答。民主党の人材不足に加えて地元選挙区での対立候補不足。これだけではなく、地元選挙民の民度のレベルを知って私の落胆は増大したのであります。
辞任に際して、アメリカ、特にクリントンが最大限のエールを前原氏に送っているようですが、これはアメリカにとって前原氏が

とても扱いやすくアメリカの国益に有効な人物

と言っているようなもの。アメリカに厳しく、日本に有益な行動をとっていたら、アメリカはこんなコメントは発信していなかったでしょう。
良い交渉人は、利害が相反する相手側に嫌がられるもの。好かれてどうするんだと私は日本国民に訴えたい。?

さて先日、京都はあの赤いちゃんちゃんこ、もとい、赤い衣装がお好きな店宣伝ライター・関谷江里さんが絶賛しているイタリアンへ行ってきました。
彼女が絶賛しているだけにそれなりの覚悟と予想をもって入店したのですが、田町の「ラチャウ」以上に期待通りのお店であったのです。
バーニャカウダの野菜や肉料理の鴨コンフィや白金豚が

鶏の餌みたいな小片

なんです。バーニャカウダなんて、箸でつまんでバーニャカウダにつけなければ食べられない。箸使いが出来ないオカザワなら食べるのが大変ではないか。
どの料理も個性というかプロとしての主張を感じるものがなく、

限りなく家庭料理の延長線

でありました。うーむ、これが京都のイタリアンスタンダードなのか。
「ラチャウ」のピエモンテ料理に、この店の自称イタリアン、私はあらためて

イタリアンとは何ぞや?

と考え込んでしまったのです。南の方はほとんど経験がありませんが、真ん中から北の方は、それなりに訪問経験があると自称している友里。特にここ数年は毎年アルバへ行っているのですが、日本でイタリアンを経験するたびにイタリアンの定義(フレンチの定義もよくわからない)がよくわからなくなります。最近は、パスタを用意して

うちはイタリアン

と自称しさえすれば、看板を掲げることが出来ると言うことでしょうか。
パリやローマで、日本での修行経験なくお米を用意しさえすれば

日本料理店

と自称してしまうのと同じだと思います。特に京都はイタリアンにイタリア修行のシェフを必要としていないのではないか。ギオットーネにしてもこの店にしても、まったくイタリアの雰囲気を感じないのがその証左であります。
しかし、京都でまったく修行せず、東京で

京料理

の看板をあげて客がくるとは思えません。アロマフレスカの盛況をみるにつけ、京都に限らず東京の自称イタリアン好きもイタリアンにイタリア修行のシェフを求めない不思議。

また京都や東京に限らず、欧米ではフレンチもスパニッシュもイタリアンも何が何だかわからなくなってしまっております。

食材の再構築

とか称して、地元色や食材そのものを目茶苦茶、もといバラバラにした奇想天外な料理を世界に発信してしまった「エル・ブジ」のフェラン・アドリア。彼の罪は重いと私は考えます。