また「次郎」で小遣い稼ぎなの? マスヒロさん

昨日の友里ブログを読んでいらっしゃるのか、京都生まれではない単なる京都在住の朔風さん。
関谷江里さんという小物(反撃できない世間知らず)を批判する前に、

もっと関西で影響力がある門上武司さんをなぜ批判しない
大物(バックに大阪ガスあり)批判は怖いのか

との昨日の友里ブログによる問題提起に、自身のブログで

門上武司さんは関谷江里さんより目立たず、一般市民(京都人)には害がない(友里の要約)

とチョコッと逃げを打ってきました。

http://sakufuu315.exblog.jp/17674619/

その部分を引用しますと

たまに京都に来る人には、店で騒ぐそのグルメライターに出くわす事は少ないであろう。しかし、京都に住む人には遭遇する機会も多い。他のその業界の人は、それほど目立たない。タダ飯云々は判らないが、あまり一般市民に害は無いのだ。そして、紹介する店も、京都の人が顔をしかめるような店は少ない(首をかしげるぐらいか)。件のグルメライターに批難が集まるのは、京都に住む人にしか判らない理由があるのだと思う。

騒ぐ人は関谷江里さん、他のその業界の人は門上武司さんを指していると思います。
しかし、本当に出くわす機会が多いものなのか。
この朔風さん自身、出くわしたことがあるのか。もし出くわして害があると判断したのなら

他の客に迷惑だから静かにしろ

と注意すれば済むだけのこと。
友里も2回彼女と遭遇しましたが、ウザイながらもそれほど迷惑ではなく面白かったので、特に「さわ田」では注意せず彼女の友里悪口を聞き出しておりました。
もし、佐藤尚之さんが書いているように、関谷さんが

ひと口ごとに「踊っていい? 踊っていい?」「卒倒するー。倒れるー」「叫んでいい? もうだめ。叫ぶ」

と大騒ぎしていたら、友里はすっ飛んでいって注意することでありましょう。
では友里は何がいいたいのか。それは

朔風さん、本当にうるさい関谷さんに出くわしたことがあるのか
本当に出くわしていたなら、あとでブログ批判する前に、そこで注意したら良いだろう

友里が推測するに、朔風さんは出くわしたことがないはず。もし出くわしていたら、

その場で黙って見過ごして、後でブログ批判するようなヘタレ

になってしまうからであります。

自分が出くわしていないのに(出くわしていたら、注意していないのでヘタレになる)、「京都に住む人には遭遇する機会も多い」なんて大袈裟に書くな

そして彼は友里ブログの肝心なところを意識的に読み落としているようです。
問題点は2つ。まずは

大阪ガスの走狗である門上さんは、原則、ガス厨房を導入している店しか紹介しないという偏向ヨイショ
その影響力から、紹介してもらいたい店、機嫌を損ねたくない店は、ガス厨房を選ばざるを得ない

ということ。
インフラ企業とはいえ一私企業の拡販のための店ヨイショ紹介は

一種のプレッシャー

なんですね。これが

店でフラッシュたいてちょっとウザイくらいの赤オバサンより罪が軽い

ものなのか。肝心の店も

関谷さん紹介の店より顔をしかめる店が少ない

なんてことを信じる関西外食好きが存在しているとは思えません。

そしてもっと問題なのが

「祇園さヽ木」と簡単なお茶屋遊びで一人9万円も請求するボッタクリ企画

を計画していたということ。これを許してしまったら

京都の和食とお茶屋(ひいては京都人)はボッタクリばかり

との悪イメージを他府県の人に植え付けてしまうことになったのです。

友里は関谷江里さんに罪がないと言っているのではありません。
人の批判をし続けるならば

反撃できない小物だけではなく、たまにはその親分格である大物にも噛みついてみろ

ということ。(朔風さんは訴訟がお手のものと言っております)

関谷江里さんより門上武司さんの方が実害はない

と心の底から思っているのか、単なる京都在住の朔風さん。
彼は昼間しか行動しない(ランチ専門)ようなので

祇園さヽ木(昼と夜では価格体系がまったく異なる)やお茶屋(昼に行く人いませんね)にまったく縁がないから実害を感じない

ということでしたら、今後グルメネタは発信しない方が良いのではないか。
最近の京都、

昼営業をしない店や昼と夜ではまったく異なる料理を出す店が増殖

している現実。ランチ限定訪問(しかもそんなに外食しているとは思えない)は予算の問題でしょうが、店は大抵

昼は宣伝兼ねたサービスで、勝負(儲け)は夜

がセオリーであります。彼は

よい店は昼夜と差をつけない

と信じているのでしょうが、それは

何回も夜に食べてナンボの結論

であります。
実際のところ、昼の料理では6~8000円のコースの他に

5千円以内の弁当(と言っても松花堂のように弁当箱に入っているものではありません)

を出す店もあります。
これらも皿や器で提供されますが、コースとはまったく別ものなのであります。
これを食べて料理を判断されても困るんですね。

東京で、昼のお決まり(数千円)しか食べない人の鮨評価を信じる鮨好きはいません。
また最近は昼営業の鮨屋が少なくってきています。

限定された店で数千円の昼のお決まり

を食べただけで、お江戸の鮨屋をシタリ顔で語っても、東京では誰も相手にしないのですが、京都では昼専門でも立派に通用する不思議。

京都人は寛容な人が多い

ということでありましょうか。

本日は掲題の内容をメインにするつもりでしたが、朔風さん絡みのイントロが長くなってしまったので、明日のブログに譲ることとします。
本日のタイトルは明日のブログの予告となります。