今日の新聞一面はどの紙も、臓器移植法改正案(A案)の衆院可決でしょう。
募金の集まり具合によって小児の海外移植の可否が決まる、臓器まで金で買いに来るのかとの日本に対する海外の反発、中国などでの死刑囚からのダークな臓器移植ビジネス、など現行法では壁に当たっていた問題がいくらか解決することでしょう。
身辺に臓器移植が必要な人も脳死の人もいない立場で合理的な私は、総論として臓器移植には賛成なのですが、異なる立場、つまり各論としてはいかがなものか。
臓器移植が必要と診断された患者関係者だけではなく、第三者の立場の人もよほどの「人権派」でないかぎり心情的には賛成するのではないかと思う「臓器移植推進案」。
しかし、臓器提供側となる立場の関係者だったらどう感じるか。脳死と診断されても「死」と認めたくない家族の気持ちは当然です。
小児の脳死は特に慎重を期するべきとの意見もあるようですし。
私もその立場になったら、「死」を受け入れられるか、移植を考えることができるか、自信がありません。立場が異なれば当然考えも異なるのは当然だと思います。
しかし、この法案が参院で可決し成立したとしても、脳死=臓器提供義務が発生するものではない。拒否というか家族が賛同しなければ現状と大きく離れることはありません。
「脳死を死とする判断は早急すぎる」とありますが、最終的には家族が「死」と認めるか認めないかの判断。プレッシャーにはなりますが、移植を拒否し治療を継続することはできるはずです。
個人的には脳死の適用が現行法(臓器移植に限り人の死)と同じとしてA案とD案の折衷が良いと考えていたのですが、なぜあっさり「脳死は人の死」としてしまったのか。年齢制限の撤廃だけの改正案がなぜ提出されなかったのか不思議です。
臓器移植法改正にかこつけて、「脳死」を死と認めず治療行為を継続されて医療費がふくれあがることを避けたいという政治的(行政的)な思惑があったのではないかと勘ぐってしまいます。
しかしこの法案のおかげで、すっかり過去の人だと思っていた中山太郎代議士、TVでかなり目立っていました。次期衆院選の選挙運動としてはかなり効果があったのではないでしょうか。
友里掲示板
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