福島第一原発3号機に外部電源が繋がったようです。今朝のTVでは
ポンプが動けば圧力容器や格納容器に冷却水を送ることが出来る
とナニゲに報道しておりました。純粋な国民の方々は「よかった」と胸をなで下ろすでしょうが、友里は
やっぱり炉心や格納容器に冷却水(海水も)は注入出来ていなかったんだ
と自分の推測の正しさを確認するとともに、マスコミ露出の御用学者達のいい加減な解説にあらためて腹が立ったのです。
放水を開始するまでの事故当初、さも炉心へ真水や海水が送られているかのように解説し、水面の上下に国民を一喜一憂させていましたが、まったく違ったではないか。
移動式のポンプの圧力では炉心に冷却水が入らない、と再三主張してきましたが、いかんせん知名度がなく注目されていない友里ブログ。御用マスコミの報道にまたまた国民はコロッと信じ込まされるのでしょうか。
昨日の夕刊紙だったか、
計画停電は年末まで
といった見出しがあったと記憶しております。いままでマスコミは、この計画停電がいつまで続くかという事に関して、?
ダンマリ
を決め込んでおりましたから大きな進歩でありますが、週刊誌や夕刊紙ではなく、大マスコミが取り上げなければ大きな意味はないでしょう。
現在、60サイクルの電力会社から1000MW(100万KW)の買電をし、50サイクルの他電力会社からも電気を融通していると言われている東電。
休止している火力の再開、今回の震災でダメージを受けた火力の復旧、ガスタービンの増設で発電量を増やす計画のようですが、これで東電管内の節電や計画停電は解消されるのか。
友里は年末どころか当面無理ではないかと思ってしまうのです。今の第一、第二福島原発はちょっと原発の知識がある人が考えれば
再開は当面無理
とすぐわかります。いや百万が一復旧できるとしても世間がそれを許さないでしょう。一説には両発電所とも半永久的に停止を続けなければならないとの見方もあるようです。
つまりこの2発電所の計10基(2基以上の増設計画もあった)の発電量がアテに出来ない現状に加えて、柏崎刈羽(現在7基中4基が運転中)も早晩停止せざるを得なくなるのではないか。
今は第一福島の緊急対策で国、東電、そして国民の頭は一杯ですが、一息ついたら東電管内の原発をこのまま運転し続けて良いのかという議論が必ず沸いてくるでしょう。
つまり東電は、原発を計算に入れずに発電量を増強して節電や計画停電の解消を目指さなければならないのです。
火力の発電総量がどうだとか、増設に何年かかるとかの物理的な理屈は抜きにして、私は
火力(含む水力)だけでは節電や計画停電は解消しない
との結論に達してしまうのです。その理由は簡単。火力だけで元の生活状態(発電量)に戻ってしまったら
原発を無理に稼働する必要がない
との世論が形成されてしまうからです。
電力会社が地元の説得に苦労し、膨大な建設費用をかけてなぜ原発を造り続けるのか。
なぜ定期点検期間を年々短縮させるというリスクをとっても原発の稼働率を上げたがるのか。
それはひとえに原発の発電単価(建設費など諸費用の償却も考慮、ただし廃炉の費用は盛り込んでいなかった)が火力に比べてかなり安いからでして、火力の替わりに原発を稼働すればするほど、電力会社の利益があがるのです。原発稼働率の大小で電気料金は変わりませんから、企業としては当然の行為であります。
客が天然に拘らずしかも養殖との違いがわからず、請求額が変わらないとしたら、天然から養殖に切り替えたがる寿司屋が続出するのと同じ心理であります。
原発なしで東電管内の電力を充分まかなえて以前と同じ生活や企業活動に戻ってしまっては、当該地区の住民だけではなく原発利権に関係ない国民のほとんどは
原発はもういらない
と判断してしまうのは必至であります。さらに休眠火力の立ち上げ、新規ガスタービンの建設にかなりの年数がかかることも考慮に入れて
原発の安全が再確認され、国民に原発が再認知されて発電を開始する迄節電や計画停電は解消しない
と私は考えてしまうのです。
話は変わりますが、ジャイアンツの自称オーナー、実態はただの「雇われオーナー」の滝鼻氏がナベツネ並みに吠えているようです。政府が何と言おうと
セリーグの開幕は3/29に強行する(実際の言葉遣いはもっと汚い)
と息巻いているとか。読売グループの老害はナベツネと氏家だけではなかったようです。
しかしナベツネはじめなぜこのように謙虚さの欠片も持たず、傲岸不遜な態度と言葉を隠さず発する人が次々とでてくるのか。
これは個人の素養の問題と言うより、読売全体の社風に問題があるのではないか。まともな企業風土であるとはとうてい思えません。
ここはひとつ、賢明な国民やプロ野球ファンは彼らの勘違いをあらためさせるためにも、観戦をボイコットしたらいかがでしょうか。節電もありますからTV中継やラジオ中継も無視するのです。
こんな強硬手段をとらなければ、彼らは
所詮自分たちも「雇われ」の身分
ということが永遠にわからないことでしょう。