目を覚ませ、ソースなしフレンチ信奉者たち

カンテサンスの岸田シェフの料理に対する問題提起がキッカケだったのかわかりませんが、友里掲示板がかなり活況となっております。とはいっても、外食しないKYアンチが半分くらい占めていますので、一般の方や外食好きの方にはほとんど参考にならないかもしれません。

4月になって暇になりましたら、現在の掲示板とは別の「承認制」か「会員制」(どこかの店みたいに「なんちゃって承認制」や「なんちゃって会員制」にはしないつもりです)の意見交換の場を検討したいと思います。
その節はシステムなどをブログで発表しますので、ご意見をいただきたいと思います。問題は「承認」なり「会員」の認定をどうするかであります。
単にメールアドレスの確認だけでは、現在のような文責もたない人たちが紛れ込んで掲示板と同じような展開になる可能性を否定できない。
承認された方と友里が互いに責任ある立場を共有できるようなシステムがないかと思案中であります。

さて先週土曜日、そして今週月曜日と問題提起した岸田シェフ提唱の「ソースなし自称フレンチ」。友里は

出汁を使わない和食

に例えたのですが、その例えがわかりにくい、イマイチ説得力がないとのご意見をいただきました。しばし考えまして、以下のような例えにあらためさせていただきます。ソースを使わない自称フレンチは

〆ものを一切ださない自称江戸前寿司と同じ

ではないか。なぜ岸田氏はソースをださないか(造らない?造れない?)。インタビューでは

素材を尊重するなら、ソースが旨すぎちゃいけないんじゃないかと。
素材がよくて、塩と火加減がしっかりしていればおいしいだろう。

素材そのものの良さを前面に出したいのでしょうが、それならある勘違いした江戸前寿司職人が

素材を重視するなら、〆てはいけないんじゃないかと。

と海鮮寿司に限定してしまったようなものではないでしょうか。
当時の江戸前はすべてのタネに仕事をしていたのかもしれませんが、現在は誰もが江戸前と認める鮨屋でも

半分くらいは生タネ

であります。でも一切「〆もの」を出さなくなったらそれは

江戸前寿司ではなくただの海鮮寿司

ではありませんか。ソースのないフレンチは「クリープのないコーヒー」(古い)というか

〆ものを出さない江戸前寿司

と同等レベル。友里は「ソースなしフレンチ」の信奉者にいいたい。

〆ものを出さない江戸前寿司も認めるのか

と。ソースを使わないフレンチは、フレンチではなくただの

塩焼き料理

であると考えるのです。
江戸前寿司で仕事している(〆ている)タネの代表例の1つである「コハダ」。これは生で食べられるものではないと言われています。(友里は生を検証しておりませんけど)
〆てはじめて食べられる、しかも旨いと思えるタネ。つまり「素材重視」との詭弁でソースを使用しない岸田フレンチでありますが、寿司におけるコハダのように、ソースなし調理では客に提供できない素材は尊重しないのか。たとえば

リエーブル(野ウサギ)、ベキャス(山鴫)

などの素材はソースなしの塩焼き調理では尊重できないものであります。
あくまで岸田シェフが尊重する素材というのは

塩焼きできるものだけ限定

ミシュランはカンテサンスを

現代風フランス料理

とカテゴライズしておりますが、

使用食材が極端に限定される調理法オンリーの店を現代風と修飾語をつけてはいるけどフランス料理とくくってしまって良いのか

と私は主張したいのであります。
巷の焼き肉店でも、焼き肉以外にチヂミや参鶏湯、スンドゥブなど他の料理も出します。カンテサンスで出てくる前菜の位置づけである山羊のババロア、フォアグラなども焼き肉店の焼き肉以外の料理だと考えれば、カンテサンスは現代風フランス料理と言うより

洋風塩焼き料理店

の看板に掛け替えるのが妥当ではないかと友里は考えるのであります。
物事、極端はいけません。〆ものと生タネが混在する江戸前寿司とおなじくフランス料理というなら

塩焼き以外にソースや煮込みも常備するべき

であるとカンテサンス信奉者は考えないのでしょうか。彼らは

素材重視のためオイルやニンニクを封印したと主張するイタリアン
素材重視のため唐辛子やホアジャオを封印したと主張する四川料理
素材重視のため上湯を封印したと主張する広東料理

を有り難く食べている人(存在するとは思えません。植竹シェフはニンニクを使いません)と同じであると書くと、また怒られるかもしれません。