毎年繰り返されるお約束

本日は終戦記念日。友里が小さい頃田舎に帰ると、死んだ叔父は毎年

新たに戦争をすればなくなる行事

との暴論?(理論的には当たり前)を言っておりましたが、昔ほどの過熱感はなくなってきたのではないでしょうか。TVのワイドショーなどでも終戦に関する報道はかなり目立たなくなってきたように感じます。
しかし必ず出てくるのが

首相はじめ閣僚の参拝問題

行くの行かないの、(玉串料を)払うの払わないのとの報道がお約束で出てきます。中国や韓国がここぞとばかりあれこれイチャモンをつけてくるのもいつものとおり。
安倍さんはじめ政府筋は

(閣僚の参拝は)心の問題で自由

とまで言っているのですから、本当に戦没者に尊崇の念を持っているなら

誰にも知られず家の中で、靖国の方に向かって心から尊崇の念を持って祈ればよい

だけのこと。わざわざ靖国へ行くこともないのではないか。
要は個人の心の中身であって

政治的なパフォーマンスで目立つ参拝を仕掛けなくてもよい

と友里は思ってしまうのであります。
そんな人がいるかどうかはわかりませんが、腹の中では舌を出しながら、表面的に神妙な顔して参拝し、頭を垂れても意味がない。

だいたい今の日本、神道の家がどれほどあるのか。普通の人は、神社なんて

正月と七五三

くらいしか接触がないのではないでしょうか。まあ、観光で訪れた場合はついでに祈っていくでしょうけど。
またほとんどの日本人、神のことを本気で考えるのは

困った時

くらいではないか。友里は普段神と縁の薄い国民が住む日本で

なぜこの時期だけ「神道」が全面出でてくるのか不思議

と疑問を投げかけると、特定方面から大きな反発をうけるかもしれません。

とはいえ、友里自体、神とまったく無縁ではありません。死んだ大阪出身の父は官立の神道関係の大学(GHQにより解体)を出ておりまして

なぜか神主の資格を持っていた

のであります。伊勢神宮では一般参拝よりちょっと奥まで入ったこともありましたが、実家の法事は

浄土宗

父は神社とはまったく関係ない実業の世界(といっても零細企業のオヤジ)に入りましたが、宮司の息子が多かった父の同期でも同じように神社を継がず、銀行員になった友人がいましたっけ。
確か幹部になってこれからという時、親御さんの急逝をうけ

50前後で実家(九州の僻地)へ帰ってあっという間に宮司になってしまった

のであります。何が言いたいかといいますと、日本の神道を支える神社群、なんと

ほとんど世襲

なんですね。まあ、同じく税金を払っていない仏教の「お寺」も世襲がほとんどですから、神社だけを問題視することはできないかもしれません。

本日は何だかまとまりのないブログになりましたが、困った時は神頼み、家の法事は浄土宗、墓参りだけはやっていますが普段は無宗教である友里に言わせると

交渉(戦い)に臨む場合、弱点は切り捨てる

泣く必要はないですが、馬謖を切って身軽になり、相手の弱点をみつけて突く反攻にでるべきではないか。
閉じこもって防御に徹する籠城作戦、最後はよい結果にならないのは歴史が証明しております。

攻撃は最大の防御なり。実際の戦ではありませんが、中国や韓国に突かれる弱みを切り捨てて身軽になり、そろそろ反攻にでる時期ではないでしょうか。

日本国の為を考え、これ以上中国や韓国にイチャモンつけられないようになるなら

友里は親や先祖の墓を捨てても良い

例えは違いますが、現実的に考えればこれが手っ取り早い戦法であると発言すると、親不孝だ暴論だと、またお叱りを受けるかもしれません。