昨日ある有名新聞社の取材のようなものを受けてきました。発行する流通系の新聞で、ミシュランなど飲食店格付けに対する企画物へのコメントを求められたのです。はっきり掲載が決まりましたらブログでお知らせします。
結構お堅い新聞社がなぜ知名度低い友里を知り選んだかというと、企画担当の編集者の同僚の女性の方が友里ファンだったからだというのです。業界の片隅でくすぶっているこの友里に声をかけていただき感謝であります。
さて、件の服部幸應校長の「服部家偽装」問題、まだまだ読者の方からの新しい情報提供は続いております。本名は「染谷幸彦」で間違いないはずですが、まずは以下のURLをクリックして内容をお読みください。
http://megalodon.jp/?url=http://www.tv-asahi.co.jp/mother/contents/100/backnumber/10624.html&date=20070902102847
TV番組「グレートマザー物語」のまとめのようなものですが、なんと服部校長の母親は服部家へ嫁いだと立派にかかれております。服部道正氏(本名は染谷栄氏と推測)と結婚して服部幸應校長を産んだようですが、服部家へ嫁いだならどうして服部校長の本名が「染谷」なんでしょうか。母親の父は映画監督の友成用三氏。本名かどうかわかりませんが、染谷ではないと考えます。
しかし、大マスコミであるTV局が何ら検証せずこんな本人の勝手な宣伝文句を鵜呑みにして番組制作し、服部栄養専門学校など彼の商売の手助けをしてしまっていいのでしょうか。TV朝日系列の製作だと思うのですが、読者の中に関係者の方がいらっしゃったらぜひ本音をお聞きしたいものです。
また、次のような記述も提供いただきましたので引用させていただきます。
DAI‐X出版編集部『ライセンス・ライブラリー27 なりたい!!調理師 第6版』(DAI-X出版 2001年)という本のインタビューにおいて、服部校長が次のように語ってるのを見つけました。以下、引用です。
―まず、服部先生の料理との関わりから、お話をお願いします。
「服部家は代々1561年から、食べ物関係できてまして、明治18〔1885〕年、13代のときに料理の教場を開いたんです。それまでクローズされて、武家の間で働いてたんですけど、一般に教えるようになったのがこのときです。明治維新に外国から料理が入ってきて、そのカルチャーショックをどう受け止めるかというと結局、学校しかないんですね。昔からやってましたので、すぐ教えられる体制ができてたんです。それから、ここまできたという訳です。(以下、略)」(64頁)
どう読んでも服部校長は「自分は服部家の末裔だ」と言っているように読者は取れるんですけどね。
ということで、先週の服部幸應校長へ直接出した質問状の返事、予想通り来ておりません。痛いところを突かれたが、知名度や注目度のないライターが騒いでいるだけなので、無視していればそのうち沈静化するだろうとの読みでしょか。
もう少し様子を見て返事が来なかったら、再度メールを出してみることを考えております。
服部栄養専門学校など服部校長の事業に関わっている方、生徒の方などのご意見もぜひお聞きしたいものです。