事の発端は、10/12(金)に起きた
「カンテサンス」の友里一行追い返し事件
でありました。
事件の詳細は10/11のブログをお読みいただくとして、その後に続けたカンテサンスネタブログで取り上げた以下の記事について、読者の方から非常に香ばしい情報をいただいたのであります。
まずはInvitation 2007年5月号に掲載されたインタビューでの岸田シェフ発言をご覧ください。
http://www.j-wave.co.jp/original/worldaircurrent/lounge/back/070602/index.html
このなかで、岸田シェフはパリで初めて修行に入った(飛び込みでその場で採用してくれた)シェ・ミッシェルというビストロについて熱く語っているのです。
シェフはお願いすればなんでもやらしてくれる方だったので、私が冷たいものを、彼が温かいものを担当していたんですけども、僕が「温かいのもやりたい」と言うと「今日から交代しよう」と何でもやらせてくれる人でしたね。東京ではそんなことはありえなかったです。
との謝意とオマージュを込めた発言。
でもこれを見た読者が異を唱えてきたのが下記の情報であります。
シェ・ミッシェルのシェフパトロン「ティエリー・ブルトン」はカンテサンスの岸田さんのこと、まったく覚えていなかったそうです。全く目立たず注目も期待もされない存在だったようです。(要約)
このニュースソースをはっきり書けないのが残念ですが、このパリ店の関係者であることは想像するに難くない。
そこで検証精神旺盛な友里は、事の次第を確認するためにシェ・ミッシェルを先日訪問したのであります。
実は10月にも訪問していたのですが、酔いすぎて(隣の外人からベルギービールをお裾分けしてもらったのが原因か)確認せずにホテルに帰ってしまい聞き忘れてしまった。
今回は準備万端。拙い英会話が通用しない可能性もあったので、質問事項を書面で用意しての再訪でありました。
まずは店での印象を良くしようと、プリフィクスコースでは追加料金のあるものを選び、スープも1皿追加。
トドメは高めのブルゴーニュワインの発注でありました。
食事を終え、厨房も忙しくなくなってきたころを見計らって、おもむろにその質問書(単なるワードの1枚)を取り出して女性スタッフに話しかけた瞬間でありました。
その書面内容をチラッと見て瞬時に判断したのでしょうか、シェフに質問と言いかけたらすぐ
シェフに直接聞け
と厨房に案内されたのであります。
異国の地で厨房へ入った経験はサンセバスチャンの3つ星店以来。喜び勇んで女性スタッフについていったのは言うまでもありません。
結構小さい厨房にスタッフはシェフいれて5名でしたか。まずはその証拠写真をご覧ください。
左端が新シェフ。1つとんで日本人スタッフです。
残念ながらシェフパトロンのティエリー・ブルトン氏は不在でありましたが、2年前からの就任という新シェフのほか、2年目という沖縄出身の日本人スタッフがいたのであります。
早速得意の日本語で、岸田シェフを知っているかと質問したところ、日本人スタッフは「又かいな」いった表情で
誰も知らないけど、パトロンなら知っているかもしれません(要約)
と大人の対応をしてきたのです。
友里以外にも、この質問をした人が過去にいたのでしょう。
それを聞いていた新シェフの次の発言に友里、立っておりましたが椅子から転げ落ちそうになった(正確には吹き出した)のであります。
キシダ、なんだそれは。パティシエか (要約)
2年前に就任したてとはいえ、天下のミシュラン3つ星シェフを輩出した店のシェフであります。
3つ星シェフをパティシエ扱い
岸田氏をパトロンが覚えていたら、彼らに一度は天下の3つ星シェフの話をしたのではないか。
いや過去に何回も質問されているのですから、パトロンに確認することは可能なはず。はっきりパトロンが覚えていたら
パトロンなら知っているかも
といった曖昧な回答はしなかったでありましょう。
7年勤めているという男性スタッフはじめ店のスタッフすべてが
WHO IS KISHIDA ?
であったのです。
岸田氏が修行に入った半年間は2001年前後と推測。
確かに現在の店スタッフとはラップしておりませんが、パトロンが覚えていたら噂くらいは聞いていたのではないか。
確実に言えることは、
岸田シェフは3つ星をとってからの5年間、この恩ある最初の修業店に挨拶(コンタクト)をまったくしていない
飛び込みでパトロンに店で雇ってくれと頼んでその場でオッケーをもらったという岸田シェフ。
わずか半年のお勤めで1つ星店へ転勤。その後いくつかの店をまわって最後は「アストランス」で仕上げてもらっての
3つ星シェフの誕生
であります。
最近は紹介やツテなく店へ修行に入ることが難しいと聞いております。
果たしてシェ・ミッシェルのパトロンに断られて、この店で修業をスタートさせていなっかたら
アストランスどころか2店目の1つ星へも修業に入れたかどうか
シェ・ミッシェルと巡り会えなかったら
岸田氏は今とは違った料理人人生を送っていたかもしれない
のであります。
友里は岸田3つ星シェフに言いたい。友里を追い返す前に
まずは世話になった恩あるシェ・ミッシェルへ挨拶に行ったらどうか
あの中国人でさえ
井戸を掘った人の恩を忘れない
と言います。
岸田氏には、色々と性格に難がある中国人でも恩を忘れないと言うことを見習って欲しいものであります。
最後にオマケ。
2年目という沖縄出身の日本人スタッフ。厨房ではホタテなどのソテーを任されておりました。(温かいものを任されていた)
シェ・ミッシェルの修業を終えた後、今はフランスで主に取り入れている店が存在するかわかりませんが
ソースなし、低温ローストオンリーの店
で修業をやり直したら、その後に大阪くらいなら独立して3つ星を取れるかもしれません。
もう1つオマケ。
岸田氏をまったく覚えていないスタッフたちでしたが、京都のフレンチ「コム・シェ・ミッシェル」の大川シェフはよく知っておりました。
この店で確実に修業したそうで、新シェフでさえ(大川シェフとはラップしていない)
タカシは知っているぞ(要約)
と言っておりました。
また帰り際に、その「コム シェ ミッシェル」の店内や大川シェフの写真をまとめたアルバムも見せてもらったのです。
同じ修業店で、両者に対するこの反応の違い。
岸田氏と大川氏の性格の違い
を垣間見た瞬間でありました。