新刊「シェフと美食の王様」について その2

今日はヨイショ系ライターが、なんら考えもせず、検証精神も持たず、料理人の口上を鵜呑みにして垂れ流している問題点を一例をもって挙げてみます。
この本では「ナリサワ」との会談が巻頭を飾っており、その次に「シュマン」と「エノテカノリーオ」が続くのですが、両店のシェフが「肉の焼き方」に対して正反対の主張をしているのに、それを問題視せずそのまま紹介しています。
「シュマン」の児玉シェフは、「肉を焼くのは、すべて自分でやります」と「火入れ」を肉料理の大事な要素に挙げています。
反面、「エノテカノリーオ」の斉藤シェフは、メイン料理は店一番の「新人」に担当させていると発言。「良い肉や素材を使えば、焼き方の技術などすぐに覚えますからね」と続けているのです。
フレンチとイタリアンでは調理法が多少違うでしょうが、最近は境界がなくなりつつあります。「焼き方」が肉料理の重要事項として自ら焼き上げるシェフ、かたや素材さえ良ければそんなに技量は必要ない(誰でも直ぐに覚えられるということ)と「一番の新人」に任せているシェフ。
二人と直接対談しているはずなんですが、来栖けい氏はこの相反する主張にまったく反応しておりません。行きつけの寿司屋の主人からの口上を鵜呑みにし、フレンチ、イタリアンでもシェフのいうことを「素直」にフンフンとうなずいて、なんのポリシーも意見ももたず、検証もしないで、ただただ「素晴らしい、美味しい」を繰り返す王様、もとい、オコチャマ。また、これをそのまま載せた出版社の編集担当も、料理に関してはまったく一家言持っていないという事です。
彼を支持する「食通の大人」が存在するとはとうてい思えませんが、未だに露出しているということは、それを許す読者や視聴者の「質」を問われる事になるのではないか。そうでなければ、料理番組に露出するお笑いタレントの延長線上との位置づけとしての認知しかないということでしょうか。
このような底の浅いライター、百戦錬磨の料理人たちが手玉にのとるのは朝飯前、尊敬しているようなフリをして実は内心軽んじ、うまく宣伝に利用されてるということをそろそろ自覚するようオコチャマにアドヴァイスさせていただきます。