京都の自称料亭にまで進出してしまった、小山薫堂さん

何人かの読者の方から

あの小山薫堂さんが京都の料亭の経営権を取得してしまった

との情報をいただきました。まずはその記事をご覧ください。

http://www.kyoto-np.co.jp/sightseeing/article/20120823000080

友里もこの「下鴨茶寮」という自称料亭の名前は知っておりました。
中元や歳暮の時期、東京の百貨店では吉兆や和久傳と共に、ここの商品(もちろん食べ物です)がラインナップされていたからであります。京都の高名な「料亭」だと信じ込む現実を知らない東京人も多かったことでありましょう。

下鴨茶寮は1856(安政3)年創業で、茶懐石・京料理で国内外の賓客を迎える一方、弁当・総菜を近畿一円の百貨店で販売、従業員200人に上る。

この記事を素直に信じるならば、国内外の賓客が訪問する最上ランクの料亭となるのですが、京都の飲食業界に詳しい知人に言わせるとこの下鴨茶寮、京都の料亭のなかでは

中の下

程度の位置づけなのだとか。彼から聞いた京都料亭のランクを書いてみますと

トップランク 瓢亭、つる家、嵐山吉兆
2番手    和久傳など

「下鴨茶寮」の順位はこの下に位置するとのことでありました。「京都新聞」という地元紙?の記事でありますが、かなり煽りが入っているのではないでしょうか。

デパ地下で弁当を売りまくっている「下鴨茶寮」と、最近まで(売れ出すまで)冷めた弁当を食べ続けていた小山薫堂さん。(TV関係者は冷めた弁当が主食と聞いております)
弁当つながりで成立したとも思える今回の経営権譲渡劇でありますが、純粋無垢ではないまともな読者や外食好きなら

小山薫堂さんは客寄せパンダで、バックに別資本が控えている

とすぐ感じ取るのではないでしょうか。齢80を超えた現女将、

伝統を引き継ぐと同時に従業員の生活をいかに守るかに悩んできた

とありますように、この長引く不景気の中で厳しい経営環境だったのではないか。あの京都吉兆も経営が苦しいと言われているくらいであります。
ここからはあくまで友里の推測でありますが、

経営権譲渡に関する対価はほとんどなかった

のではないか。火中の栗を拾うといいますか、

小山薫堂さん側は従業員やその他のもの(負債があればそれも)を丸ごと引き受ける
高齢な女将は厳しい料亭経営から解放される(料亭を継続する、もしくは閉めるにしてもかなりの費用がかかるはず)

と両者の利益が一致した結果であると推測します。
担ぎ上げられた小山薫堂さんとその後ろに控えていると思われるスポンサー筋、果たして

下鴨茶寮が中の下のランク(あくまで知人の評価)であると知ったうえでの経営権取得だったのか

食べログのレビューを見る限りお宮参りあとの食事(もちろん昼間)によく使われていることがわかります。

ベビーベッドが部屋に用意されている

というサービスをウリにする自称料亭を、小山薫堂さんたちはどう経営していくのか。
今後が見ものであります。