事実に反する強弁は贔屓の引き倒しになる、鎌寿司

多くの読者の方から「見ているだけで可哀そうになるので、これ以上相手にしていじめると友里の品位が落ちるぞ」、「相手にするレベルでない」と叱責を受けた鮨屋訪問をメインにした某ブログ。
友里がブログで取り上げなくなったからか、「友里の未熟がはっきりした」など書きたい放題までは笑って見過ごしていたのですが、どうもそれだけでは溜飲が下がらなかったのか、年が明けても彼から頻繁なメール攻撃を受けております。
その名は「ずこ」さん。
「未熟者」、「やり方が汚い」、「嘘書くな」と一方的な思い込みでメール批判してきます。酔っ払うと意識が朦朧とするのか、夜中には「意味不明」なメール、例えば「某出版社」系(実際は実名で社長と昵懇だそうです)で対談してもいい、とかいうメールもありました。対談すると謝礼がでますので「ぜひお願いします」とお返事したのですが未だ実現しておりません。
そんなわけでメールチェックをするたびにまた来ているのかと恐怖で一杯になっております。
それは冗談で、しっかり毎回お返事させていただいているのですが、それがまた気に食わないようで、攻撃メールが止まりません。返事を書かなければいいのかなとも思うのですが、私も暇なものでついついお返事してしまうのです。
これだけなら読者のご指摘もあってブログに取り上げないのですが、1/22の彼のブログでまったく「事実に反する」ことが書かれているので、禁を破って再度取り上げさせていただきます。
http://zuko.blog.ocn.ne.jp/zuko/
「鎌寿司」の主人は「ずこ」さんに、「鮑は生ではなく仕事したものを出した」と言ったとか。
でもこれって、本当なんでしょうか。主人から「魚のこと何も知らない」と言われるのは構いませんが、「貝」のことは、少しはわかるつもりです。しかも、日本語は聞きとれます。
特定されるのを覚悟で書きますと、当日は4人で訪問。男性2名、女性2名です。本人には了解取っていませんが、その男性を明かすとJ.C.オカザワであります。
私がツマミの時、「蒸し鮑お願いします」と言ったら、主人ははっきり「今日は生しかありません」と生を切って出してきたのです。これは他の同伴者もはっきり聞いていることです。昨日も再度確認しております。当然食べた鮑は生です。
本当に「鎌寿司」の主人が友里を特定して「蒸しを出したのに生と書きやがった」と言っているとしたら、主人はボケたのか、嘘を言っていることになります。
推測ですが、主人は「ずこ」さんに調子を合わせただけではないか。(友里批判に同調する単なる客あしらい)
それを真に受けて、「友里は嘘を付いている」と強弁するのは、かえって「鎌寿司」の評判を落とすことになるのではないでしょうか。事実と違うことを「鎌寿司」の主人が言っている、と世間に広めてしまうからです。贔屓の引き倒しです。事実に反することですから、「嘘つく寿司屋」になってしまいます。
そしてコハダに関しても一言。江戸前のコハダと言っても、〆すぎたら酸っぱく感じます。〆すぎを棚に上げて主人もよく言いますね。
連れの一人に確認ついでに、「もう一回行ってみようよ」と誘ったのですが、「二度と行きたくない」とあっさり断られてしまった「鎌寿司」。
主人が「ずこ」さんに嘘をついたのか、単に調子を合わせただけなのか、単にボケただけなのか、好奇心が強く時間と資金に余裕のある方は一度「投げる(叩きつける)握り」を試すついでに、主人に真相を確認していただければ幸いです。
鮑が生しかなかったことを認めるのがそんなに嫌なんでしょうか。それならば、生鮑を客に出さなければいいと私は考えます。
昨日発売の幻冬舎の月刊誌「GOETHE」(ゲーテ)。ミシュラン批判の特集企画が面白いです。
特に、見城社長の署名記事、ミシュラン批判を飛び越えての、山本益博氏批判は圧巻です。ぜひ読まれることをおススメします。
「あまりに愚かで子供っぽい策略家ぶり」、「私利私欲の絡んだ癒着」、「もう20年近く会っていないが、かつては会うたびに品性下劣な男だと思った」、「自分の金では食べない男」などその舌鋒鋭いというか、ここまで書くか、とこの友里も完全脱帽のマスヒロ批判であります。
この特集に関しては、来週のブログで取り上げたいと思います。