ミシュランガイドについての考えを変えました

私は昨年から(昨年の春くらいからです)、ミシュランガイド東京版はたいした内容ではないと言っておりました。発売後も「これでは昔からの本国版などのイメージダウン」と東京版だけが「評価がおかしい」というような主張を繰り返していたのです。
しかし、「モウラ」のコメント欄でアンチの方が「合議制」の素晴らしさ?を繰り返し主張されてミシュランを崇拝されていたので、ちょっと考えてみたのです。
どこの馬の骨かわからない、主張や嗜好をまったく伏せた「調査員」と称する人たちが「合議」で話し合っただけのミシュラン評価、本当は100年前の最初からたいした評価ではなかったのではないかと思うようになりました。
私は言っておりませんが、普通この手の店評価や店の記事を書く人は自分の舌の能力を自慢します。マスヒロさん、JCオカザワ、過食のオコチャマこと来栖けい氏、など皆さん例外ではありません。
MSGに寛容なマスヒロさんやオカザワ、そして未だに引っ込みがつかず「入船」が鮨屋で一番と主張している来栖けい氏の舌(評価)が凄いと思う人は、一部の信奉者を除いてそうはいないでしょう。
つまり、ペンネームでもいいのですが、顔が見える(主張や嗜好がわかる)人でも当てにならないのに、顔が見えない(主張や嗜好がわからない)どこの馬の骨かわからない人たちの評価をなぜ信じられるのか。おかしいと思いませんか。
私が思うに、100年前はこのようなガイド本がなかった。その後☆でランク付けしましたが、最近まではそんなガイドはなかった先駆的な本だったので、読者が勝手に「絶対視」しただけではないかと思うようになったのです。世に1種しかなければそれが「真実」みたいに見なされます。
しかし、ミシュランガイドははっきり言えば「どこの馬の骨かわからない人たちの言ったもの勝ち(評価したもの勝ち)のただのガイド本」。
これからピレリー社やブリジストン社が、勝手に「弊社の基準で採用し研修した調査員」なるものを使って主張や嗜好を開示せず「秘密合議制」で評価本を作ったとして、世間でバイブル化されるでしょうか。これほど注目を浴びるでしょうか。
答えはノー。
100年以上、調査員自体の「資質」に対する問題提起をそうはうけなかったのでしょうが、私は東京版だけではなく、本国版含めて実はまともな評価ではなかったのではないかと思うようになりました。
ディスクローズのご時世で、主義、主張、嗜好、出自をまったく明らかにしない人たちの合議、そして行ったこともない人も加わるこの評価システム、独裁国家ではないのですから、完全に「時代遅れ」と考え直した次第です。
こんなシステムで推奨された馬の馬券が買えるでしょうか。(読者の方の意見です) 推奨された株を買うでしょうか。
はずれても被害額が少ない「飲食店評価」なので「生き残れた」だけの欠陥評価システムだと考えます。