前編はコチラ
ある時麻生玲央から
グラフ社は印税を払わず10万円で終わりにしようとしている(要約)
と不満を言ってきたのであります。
当時はグラフ社の印税不払い体質を知らなかった友里(刷り数をはっきり開示しないことには疑問だった)、早速編集担当に取り次いだところ
印税はいらないからとにかく出版させてくれ
と、麻生氏から持ちかけてきたとのこと。
10万円払うだけでもマシだ(要約)
という強気の発言が返ってきてしまったのであります。
麻生氏のヘタレ気質を考えると
タダでも本を出したい
と言った可能性が限りなく高いのですが、今考えるとグラフ社は印税ちょろまかしが得意技ですからどちらを信じていいのやら。
結果的には麻生氏が10万円で折れた形となったのです。
さてこの麻生玲央氏と初めて会ったのは彼の出版後でありました。
つまり、会ったこともない、どこの馬の骨だかわからない京都人を出版会社に紹介したのですからこの友里もいい加減だったのですが、確か出版か増刷の祝いということで編集担当者を含めて3人で食事に行ったのが
ギンザ トトキ(当時はレディタン ザ・トトキ)
であったのです。
この頃はたまにトトキへ(ランチも)行っていたんですね。勿論十時氏とバトルになってトトキのブログのコメント欄を破壊する前の話であります。
そのトトキのカウンターで麻生氏に初めて会った印象、それは
モヤシみたいで軟弱な奴(失礼)
歳は当時30くらいでありましたか。いかにも打たれ弱い感じで、これじゃ
黒川三有(ペンネーム)という女性が盾となって共著の形式になったのは当たり前
だと感じたのであります。
でも驚いたのはそんなレベルではない。このグラフ社の編集担当も友里と同じく飲んべえなんですが、麻生玲央くん、なんと
下戸に限りなく近かった
のであります。確かワインをグラスで1杯飲むか飲まないかで
顔が真っ赤
になってそれ以上は杯が進まないんですね。
現在のペンネームでのブログでは、盛んに酒の話を出して酒飲みみたいに振る舞っておりますが、いい歳こいた男性の肝臓が急に強くなるはずがありません。
麻生玲央氏は最近流行の
飲んべえ偽装
なのであります。
当時メールで京都の和食の情報などを貰っておりましたが、「トトキ」で会食した時に受けた印象は
フレンチやイタリアンの経験(東京や海外)に乏しすぎるかな
それがいつの間にか、最近のブログを見ると酒だけではなく東京や海外の店の通ぶりを装っているのですから友里は椅子から転げ落ちたのであります。
京都のビストロだったか、来栖けい氏の元カノ(京都在住の元パティシエだそうで、現在のビューティ妻やかなり前にカンテサンスで披露宴あげた人ではなくデビュー本を読んで追っかけてオコチャマと親しくなった人)と麻生氏と友里の3人で祇園近くの店で食事をしたことがあるのですが、
この2名(来栖の元カノと麻生氏)はお茶すすって食事(ビストロ料理)していた
ことを思いましたのであります。実は麻生玲央氏、
酒なしでも毎日食事ができる
という、下戸特有の得意技の持ち主だったのであります。
話は反れましたが、彼の下戸より驚いた習性が
目立ちたがり屋(自己顕示欲を抑えきれない)
でありました。
当初は友里と同じく覆面で一般客側の目線で店を厳しく評価すると意気込んでいたのですが、それがまったくいい加減だと悟ったのは、2人で行った移転前(先斗町の小さな店の時)の「啐啄 つか本」でありました。
直接店で待ち合わせ(麻生氏本人が偽名で予約したと言っていた)したのですが、先に入店していた麻生玲央、隣の席に友里が座るなり
麻生玲央ってバレちゃいました
おいおい、まだデビューして1か月も経っていないぞ、何をドジったのかと思ったのですがこの若ボン(そういう外観)、なんと
自分の本を「つか本」に送っていた
んですね。「つか本」を取り上げていたからでしょうが、店に行ってその本の感想を店主に聞けば
己が麻生玲央ってバレるのはバカでもわかる
聞けば多くの店(取り上げた店)に自分で本を送りつけたとのこと。
こいつはアカン
と思った瞬間でありました。
その後彼とは来栖けい氏を交えて数回食事をしたと記憶しておりますが、スタンスの違いからか今は没交渉となっているのであります。
彼は見た目通り(オールアバウトの写真はまったくの別人)のヘタレ系でありますから、前回取り上げた伊藤章良氏と同じくちょっとクレームがつくと安易に削除に奔るタイプ。
現在のように、飲食店業界ベッタリのヨイショライターとして完成するのにそれほどの時間はかからなかったのであります。
あくまで推測ですが、オールアバウトのガイドにもなっておりますから現在も
毎回店で「麻生玲央」であるとほのめかしている
と思うのは、友里だけではないでしょう。