そんなこともありまして、「わぐりたかし」(和栗隆史)には
入船に行けば会えるかもよ
と伝えたところ早速出かけて彼もオコチャマとの接触に成功。
その独特の風体にひらめいたのでありましょう、オコチャマは1か月も経たずバラエティ番組に出演してしまってそれなりにブレイクしてしまったのであります。
このような経緯があったからか、いつのまにか「わぐりたかし」、来栖けい、そして友里にグラフ社関係者などで店巡りをするようになったんですね。
半年以上この関係が続きまして、最後の方ではなぜか柳生九兵衛まで加わってしまったシッチャカメッチャカな会食グループでありました。
このグループでは主に鮨屋を主体に食べ歩いたのですが、その理由が何だかおわかりになりますか。
それは「わぐりたかし」はもとより、オコチャマまでが
都内の高額&有名鮨屋を未訪問
だったからであります。
来栖けい、あの「次郎」も未訪だったようで、TVではマスヒロさんに初めて連れて行ってもらった場面が放映されておりました。
記憶を思い起こしますと、友里が彼らを連れて行った彼らにとって未訪の有名店は
さわ田、水谷、兼定、ほしな(これはイマイチだった)
などなど。
そうなんですこのオコチャマ、次郎はじめこれらの鮨屋を未訪のまま(勿論、宮葉、小笹寿し、ほかけなどにも行っていなかった)
入船が日本一
と断言してしまっていたのであります。
怖いもの知らずと言ってしまえばそれまでですが、なんと大胆というか厚かましいというか。
しかし、まだオコチャマはマシだったのであります。
その1年後には、東京カレンダーなどでグルメとして登場し、日本フードジャーナリスト協会などを主宰してしまった「わぐりたかし」でありますが、友里がこれらまともな鮨屋へ連れて行くまでは
スシは回転寿司しか行っていなかった
んですね。
最初に「さわ田」へ連れて行くことに決まった時は、ホント、大喜びしていました。
一度、彼が美味しいと勧める、今はなき銀座中央通りの回転寿司(博品館近く 店名忘れ)へ身内と行ったのですが
とても鮨とは言えない代物ばかり
で食べるのに閉口したのであります。
勿論居酒屋以外の和食やまともなフレンチ、イタリアンへも行ったこともなかったはずでして、それがわずか1年足らずで
グルメ 食通
と崇められてしまうのですから、TV業界や出版業界ほどいい加減なところはありません。
まともな鮨屋の経験がなかった来栖けい、訪問した店は軽く万を超えると自負していますが、友里に言わせると
その大半はファストか居酒屋など廉価ばかりではなかったか
と言いますのは、今だから言えることでなのですが
彼の育った環境では高額店の食べ歩きは物理的に無理
茨城に実家があるようですが彼の親戚からの情報によりますと、ごく普通のおうちの出身。
入船の主人も
彼はバイトで頑張っていた
とのことでありますから、入船以上の鮨屋やロオジエはじめ高額店の訪問は無理だったのでありましょう。
来栖けいの仮面を剥がす材料はまだまだ沢山あるのですが、これ以上はプライベートな面に踏み込んでしまいます。
いくら公人のようにTV露出していたとはいえ、そこまで踏み込むのはいかがなものか。
これ以上のディープな話(でもこちらの方がもっと面白い)は、機会がありましたら、
個別に開示
させていただきたいと考えます。
来栖けいに限らず、世に存在するフードライター、フードコラムニスト、料理評論家なんて、仮面を剥ぐとだいたいこんなレベルなんですね。
如何に底が浅い業界であるかがおわかりいただけたかと思います。
今回で一応、グルメライター丸裸は終わりとさせていただきます。