カリスマ鮨職人?新津氏の一番弟子が大阪にいた?

伝説?の鮨職人と持て囃された新津武昭氏への疑問を2年前のブログで取り上げたことをご記憶でしょうか。読者のウケが悪かったようで盛り上がりに欠け、ご意見をほとんどいただかないまま終わってしまいました。
ではなぜ再び「新津氏」なのか。すっかり新津氏のことを忘れていたのですが、関西在住の知人から新津氏の一番弟子を吹聴している鮨職人の店があると聞いて私の検証精神は復活してきたのです。

なんでもこの大阪の鮨屋、東京から来た鮨職人によって土日だけオープンする店だとか。平日は銀座で鮨屋をやっていて、日曜から土曜まで、休みなしであと10年頑張ると宣言しているそうです。
店名を聞いて唖然。なんと、友里征耶とある意味「因縁」があった主人ではありませんか。
ICレコーダー、銀座、会員制といったキーワードを示しますと、思い出される方もいらっしゃるかもしれません。
しかし土日だけの大阪営業、寿司タネの仕入れはどうしているのでしょうか。金曜の夜まで銀座で営業していますから、土曜に築地で仕入れた物を大阪へ持っていくのか。それとも土曜の朝一番に大阪入りして、大阪で仕入れているのか。〆などの仕事はいつ何処でやるのか。疑問は尽きません。相変わらず口は軽いようで、

自分は新津さんの一番弟子だった
新津さんは蛸を使わなかった

と言っているそうです。
銀座へ移転した人気店「あら輝」の荒木氏が週に一回、早朝から午前中通っただけで、新津氏から薫陶を受けたとして「弟子」と言われているのは周知のことですが、果たして現役時代の新津氏が、弟子と言える人をとっていたのか。一番とか二番とか言える弟子がいたのか。

残念ながら藤本繁蔵氏や新津氏が仕切っていた「きよ田」の訪問経験がない友里、事の真相は他の方からの情報に頼るしか術がありません。
魚が嫌いで鮪は口にもしないという新津氏、ほとんど修業の期間がなく店を任されてしまったはずで、その腕自体に私は疑問も持っているのですが、その「弟子」という肩書きが今でも集客に一役買っているのですから驚きです。

そう言えば、最初は「次郎」の弟子(直接確認してみたら「次郎」にいたという人がつけ場にいたお台場日航ホテルの寿司屋で働いていただけ)だったのに、いつの間にか新津氏の弟子になっていた主人(確か島田さん)の店が西麻布にありました。
一時はミシュラン1つ星にまでなった「ゆう田」でありますが、いつの間にか看板が変わり、「すし 一本木」となっております。運営に行き詰まったのか、現在は、あのマンション寿司「きたむら」の3店舗目として運営されているようです。
店舗はほとんど居抜きのまま。ドアの取っ手にある手形は前店主の島田氏かお子さんのものだと聞いておりますから、この取っ手は替えたほうが良いと私は考えます。

昨日、古川修氏はブログを更新されましたので、『創遊ライフ』ウォッチングは終了とさせていただきます。