またまた料理人を「勘違い」させる寄生ライターが現れた!

「日本フード・ジャーナリスト会議」に関するネタをネットで探していたら、
ノンフィクション作家・神山典士(こうやま のりお)氏のサイトにたどり着きました。まずはご覧ください。
http://www.the-bazaar.net/index.htm
トップページでは男性版「関谷江里子」さんではないかと見紛う強烈な「赤」が目立ちます。かなり自己陶酔と自己顕示欲の強い方のようで、プロファイルにある「大河プロフィール」は頭が下がるというか滑稽というか。まったく知らないライターだったのですが、ある程度メジャーであるならここまで「しつこい」プロファイルを書く必要はないでしょう。書けば書くほど自分にのめり込んでしまうナルちゃんであるとも推測します。しかし私が彼の体型だったら、全身写真をサイトに貼り付けることはしませんが、このKY、自己陶酔、自信過剰、自己顕示欲の強さにはただただ驚くばかりであります。
さてこのサイトの「what’s  new」の6/6のところに「日本フード・ジャーナリスト会議」(なぜ「フー○」と伏せ字をするのか。ノンフィクション作家とは思えない弱気な方)でのナレvs 横川潤 対談のことが書かれています。
ナレ氏に質問をし続けた特定の質問者に対する問題提起、ある意味真っ当なところもありますが、この神山氏、飲食業界のことをほとんどご存じないようです。

どこの世界に「自腹で野球を見ている」ことをいばる野球評論家とかスポーツ・ジャーナリストがいるかっつーの。

この飲食業界で「自腹」の評論家やライターを探すのが難しいのをご存じない。取材にかこつけてグルメ雑誌の編集者達は、レセプションやオープニングパーティ、店訪問をはしごしているはず。可処分所得から支払っている人なんて数えるほどしかいません。
野球評論家やスポーツ・ジャーナリストもチケット買って入場している人はいないでしょう。威張る野球評論家やスポーツ・ジャーナリストが居ないのは、「自腹自慢」が出来ないからなんですけど、そんな世のシステムもご存じない純な方のようです。
しかも、この人、あの料理人に寄生してヨイショ本を出し続け、辻口氏、荒木氏など何人もの「勘違い料理人」を排出した浅妻千映子氏と同じく、ある料理人に寄生して「ヨイショ祭り上げ本」を出版するようです。
日本に凱旋帰国したがっていると以前から漏れ聞いている(一説には来年に出店するとか)松嶋啓介氏のヨイショ本です。
http://www.gillie.co.jp/g_club/seminar2008/0618.shtml
いつから松嶋氏に接近したのかしりませんが、かなりのめり込んでいるというか、これからの飲食業界での人生を賭けんばかりの入れ込み、寄生ぶりであります。
http://the-bazaar.cocolog-nifty.com/
写真を見る限り、すでに松嶋氏の「勘違い度」はかなり高いようですね。
しかし、数ある神山氏の出版本の中で、料理関係は2005年に出した「初代総料理長サリー・ワイル」の1冊しかないのではないか。
http://www.7andy.jp/books/detail/?accd=31586504
早速この本(サリー・ワイル)を購入しちょっと目を通してみましたが、彼のサイトでの発言も含めての感想を言わしていただくと、「レストラン食べ歩きの経験や知識は一般人並かそれ以下ではないか」と思うに等しい方。「日本フード・ジャーナリスト会議」の主宰者と同じく、グルメが「商売」になると嗅ぎつけてこの世界に乱入してきたと思われます。
ミシュラン一つ星をとってからのインタビュー発言やフォーシーズンズホテルでの凱旋フェアでの態度を見る限り、松嶋氏はかなり自信過剰で大言壮語の人のように感じていたのですが、そんな若き料理人に寄生して、こんな「ヨイショ本」を出してしまっていいのだろうか。
まだ30過ぎたばかりの若人の本を、自分の誇大妄想的「大河プロフィール」のように「立身出世物語」、「大河ドラマ」に仕立あげて何を目指しているのか。
ただでさえその素養がある松嶋啓介シェフを完全に「勘違い料理人」に祭り上げてしまうだけではないか。

あ?、やっぱり日本には、料理を批評する文化が育ってないんだよね。ミシュラン出たら新聞の週末に「料理批評欄」ができるかと思ったけれど、今のところそれもないしね。
ぜひ書きたいな?。週末の料理批評。それが出ることで料理人が奮い立つような、そんな批評を書きたいですねぇ。ま、それがボクの仕事なのかどうかはまだわからないけれど。

ここまでの「天唾発言」笑っちゃいます。彼がやっている「ヨイショ」、「祭り上げ」、「料理人寄生」は、「批評」とは対極にあるものだということがわからない自称ノンフィクション作家の神山氏。
日本に料理を批評する文化が育たないのは、神山氏のような人の存在を許すマスコミ業界の「似非ジャーナリズム」と飲食業界の「批判を絶対受け入れない」という閉鎖性が原因なのです。
商売になると思うと介入してくる「嗅覚」だけの自称ジャーナリスト、自称評論家、自称ノンフィクション作家の「駆逐」こそが、料理評論文化の健全な発展になるということが、この方には永遠にわからないと思います。