【友里征耶の暴論】競歩があるなら背走の競技をつくっても良いのでは?

昨日のブログを読まれた読者の方から、伊集院静さんの行状に関する追加情報をいただきました。
京都には結構出没しているようですが、どうみても「他腹」。有名な寿司屋では舞妓や芸妓をつれて大騒ぎしていたとか。これが本当なら、小学生が寿司屋のカウンターで

トロ、サビ抜きで

なんて言うよりはるかに他の客に迷惑ではないですか。自分の素行を棚に上げてよく子供連れの客を批判するものだとあらためて感心しました。

先日皆様にアドヴァイスを求めたソニーPCぶっ壊れの件、とりあえず対処の方向を決めました。
宝島新書が校了する10月までは、自宅でもパナソニックのモバイルを無理して使用。副業やりながらのTV視聴はワンセグではなく、あらたに持ち運びも可能なものを購入。タイマー作動のソニーPCはとりあえず新PCへの引っ越しも考えて修理に出す、というものです。

昨日ビックカメラへ行きまして、無線でどこへも(限界はあります)持って行ける20型TVを買っちゃいました。ソニーPCも、もう一回だけ我慢して電話して引き取ってもらいました。
新PCをどのメーカーにするかはまだ決定していませんが、エプソンもいいかなと思っております。

ただし掲示板でアドヴァイスをうけた、大型ディスプレイをモバイルに接続するという方法、変換アダプターを買ってつないだのですが、外部ディスプレイをモバイルが認識せずうまくいきませんでした。
キーボードだけつなげると、モバイルの小さな画面が遠くなって見にくくなるので、当分はモバイル単体で我慢するつもりです。

さて本日の暴論、今回の世界陸上をみて思いつきました。
50キロの競歩を見て

なんで最速の走りではない「歩き」でタイムを競うのか

という疑問が沸いてきたのです。
陸上競技ですが、投げもの(やり投げやハンマー投げなど)、跳びもの(三段跳びやハイジャンプなど)、トラック競技(短距離や中距離)など、ある程度のルールがありますが、記録を目指すため体を思いっきり使っています。
競歩のトップレベルの競技選手は50キロを3時間半で歩くと言いますから、我々よりはるかに速いことは認めますが、なぜ最速の「走り」を捨てて

常にどちらかの足が地面に接していること
前脚は接地の瞬間から地面と垂直になるまで膝を伸ばすこと

という制約の中でタイムを競わなければならないのか。
それなら100メートルなど短距離やハードル競技も「歩き」で競ったらどうなのか。友里はなぜオリンピックで

20キロ、50キロ(男子だけ)

の「歩き」でタイムを競う競技があるのか不思議なのです。制約をつけての競い合い、意味があるのでしょうか。
「歩き」での競い合いに意味があるなら、走り幅跳びや三段跳びも、助走を「歩き」にしての競い合いをしてもよいのではないかと考えたわけです。

制約をつけた競技も必要というなら、極端な例ですが

背走で短・中・長距離を競う

という競技があっても良いではないかと言ってしまうのは暴論でしょうか。
競歩で頑張っている方々には許せない本日の友里征耶の暴論でありましょうか。お怒りになりましたらお詫び申し上げます。