「自腹」がウリでもえらい違いがある

たまたま銀座の本屋に立ち寄ったところ、面白そうなタイトルの本を見つけて思わず買ってしまいました。
「寿司おたく、ジバラ街道をゆく」(宇佐美伸著 講談社)であります。一介の寿司好きサラリーマンが身銭を切って歩いた、食べた、そして学んだこと!!ジバラだから真剣だ!と帯に書いてあったので、かなり期待して読み始めたのですが、内容は「自腹」ではないそこらの「自称料理評論家」や「フード・ライター」、「レストラン・ジャーナリスト」とほとんど変わらない店・主人迎合型のただの「ヨイショ本」でした。
前半のテクニック編は、客としての寿司屋への対応法などがまとめられているのですが、別段珍しいものでもなく、独自な理論や主張は見当たらない。
中盤から後半にかけての店案内編では、東京や地方の寿司屋を46店挙げていますが、私の読んだ範囲では、正に「案内」、褒め言葉の連発で問題点の指摘がまったくありません。世に完全無欠のモノが存在しないように、料理店、寿司屋で完璧の店があるはずがありません。タネ数、タネ質、酢飯、仕事、内装、主人の対応などすべてが完璧で、これ以上、上へ行く余地のない店などあるはずがありません。
ましてある面、店や主人と利害が一致しない客、特に自腹人の目で見て良いところしか見えないはずがないのです。ネットで簡単に見られる寿司好きのブログと大差ない内容にがっかりでした。
ガイド本屋や評価本を読むとき、私はある点に注目しています。その著者が、批評対象の人の名をどう著すか。つまり「・・・さん」と親しげに書くか「・・・氏」と第三者的な立場で書くかであります。
「さん」付けにした瞬間に、感情移入してしまい冷静な評価が出来ないと考えるからであります。
勿論この著者は前者でありまして、主人だけではなく、一緒に「次郎」で食べたという山本益博氏や早川光氏まで「さん」付けです。
「次郎」でマスヒロさん(私も二郎氏やマスヒロ氏の時は「さん」付けしていました)の発した酢飯の褒め言葉に「うなってしまった」とありますが、何を言いたいのかわからないというか、中身のない奇を衒っただけのマスヒロ発言にいちいち感心するようでは、この著者もただの「純粋な読者、純粋な客」でしかないのではないか。
マスヒロさんを崇拝する人に「食通」なし、これ定説です。
この著者は自腹といいながら、今月発売の「大人の週末」では顔写真まで出していますから、今後は「自腹」でも一般客と同じ待遇では食べられなくなるでしょう。
もう一冊、その早川光氏の新著「日本一 江戸前鮨がわかる本」も同時に購入しました。なかなか面白いというか、友里的に取り上げたい内容が満載でして、日をあらためて紹介させていただきます。