「レディタン ザ・トトキ」十時氏への反論 4

友里の「トトキ」のブログ
http://tomosato.net/blog2/2008/12/post_157.html
十時氏の友里への反論ブログ
http://s03.megalodon.jp/2009-0125-1824-08/thetotoki.sblo.jp/article/24961081.html
今週の反論ネタが注目を浴びたのか、ヒット数などが1割以上増えました。このヒット数を維持しようとしたら、来週からのネタ探しで頭が痛くなりそうです。さて4日目の反論です。

フランス料理のあるべき方向、そうあるべきという、偏ったT氏(クラッシク系がお好き)のご意見でどれくらいの料理店が営業妨害を受けていることでしょうか。この食材はこの業種で使わねばならずという決まりはなく、作り手がおいしいと感じるものを提供し続けることが料理人の使命、あるいはチャレンジング精神と私は考えます。干し鮑の赤ワイン煮はそのチャレンジング精神から生まれたフランス料理業界では世界初の料理です。咬めば咬むほど滋味溢れた味を醸しだすこの料理の味が分かるか分からないか、理解できるかできないかは食べて側の経験の問題が左右します。
フランスにおいて、わさび、そば、醤油、味噌など日本の食材がフランス料理で使われていることには賛否両論ありますが、ある意味では料理人のチャレンジング精神がなければできないことと思います。チャレンジング精神がなくなった時はどの業種においてもその仕事にピリオドを打つことではないでしょうか。

十時氏は友里のことをよく調べず反論してきた証左の文章であります。
私は拙著やブログで「料理の感じ方は人それぞれ。自分の嗜好にあったライターや評論家の店評価を参考にするべき」と再三書いております。確かに私はクラシックな調理が好きですが、それを金科玉条のように人に押しつけようとは思っておりません。
それに奇を衒っただけの「創作料理」は嫌いですが、創造性ある個性的な料理は嫌いではありません。
チャレンジング精神(チャレンジ精神?)で干し鮑の赤ワイン煮を考えたのはわかりますが、フレンチでチャレンジ精神を発揮する食材を何故「高級食材」に限定するのでしょうか。
本当にチャレンジ精神のある料理人なら、最近の「食材の質偏重主義」の向こうを張って、「普通の食材」でもフレンチのテクニックで美味しく提供できることを証明してこそ、「チャレンジ精神」と言えるのではないか。
「養殖の魚」、「冷凍のキハダマグロ」、「ブロイラー」、「乳牛」、「普通の豚」など現在の高額店の料理人が見向きもしない食材を使っても美味しいフレンチに仕上げる(当然安く提供)チャレンジもしてこそ、「私はチャレンジング精神のもと頑張っている」と言えるのではないか。
高額食材だけに絞っていては、「チャレンジング」に名を借りた「客単価上昇作戦」と取られても仕方ないと思います。
十時氏の「食べて側の経験」云々への反論はコメント欄などでかなり指摘がありますので割愛します。

お子さんのあるいい年の中年の方が他人の家に上がりこみ言いたい放題、アダルトチルドレンの象徴のような方で、自分の人生においてわが人生に悔いなしと大きな声でご自分のお子様に胸を張って言うことができるのかと疑問に思いますし、そんな父親を見て育ったお子様の人間形成はどうなっていくのだろうと他人事ながら危惧いたします。ご家族と料理店で食事をしていて、ここはだめだだめだ!とお子様にも言っているのでしょうか。いつも人を批判することばかりで、寛容さ、人を大切にする慈愛の精神はどこで育まれるのでしょうか。
楽しいこと、心から感動すること、また、いけないことはいけないことと次の世代にきちんと伝えていくことは大切なことです。しかしながらネガティブな感情を若い方に押し付けることは大人のエゴイズムと私は思います。レストランブログを書く方の共通点は、食材についての生産地であるとかその時季のその食材の相場価格、その料理店の立地条件、料理店オープン時の不動産価格、また食材の仕入れ方法、その料理にどのくらいの仕込み時間、人件費がかかっているのかなどリサーチが一切なくただ高い安い、上手い不味いという自分の嗜好性又はご自分の経済の基準で判断していることが逆に私ども料理店を経営する側にとりまして奇異なことに感じます。

十時氏は大きな勘違いをされているようです。
電話で「子供もいる」と予約をして入店、特別な「子供コース」を無理に作ってもらったわけではなくちゃんとしたコースを子供も1人前食べて支払っての帰宅。途中待たされ過ぎやパンにズボンが接触などのアクシデントがありましたが、これのどこが「他人の家に上がりこみ」なのでしょうか。
押しかけた訳でも、招待されての「タダ飯」でもありません。
「俺は日本でも有数な腕の良いシェフだから食べさせてもらって有り難く思え」的な考えで普段から客に接しているように感じてしまいます。
あまり後先考えずに抗議してくる料理人はよく私の「子供」の話をだします。「このままだとどうなるかわからない」など子供をターゲットにして「脅迫」してきた和食総料理長もいました。
全然関係ない子供の話を出すことにより「プレッシャー」をかけたいのかもしれませんが、そんなことで尻尾を巻く友里ではないのは昔からブログを読まれている読者の皆さんはおわかりになることです。
テーブルウォッチングも出来ない店に「ここはだめだだめだ!」と言っているのか、と言われたくない。先日も書きましたが「料理が遅いけど我慢しなさい」と諭していただけであります。
眉間にしわ寄せ、目をつり上げてメモ取りながら片手間に食べているのが友里、と思いこんでいる料理人や経営者が多いようですが、実際は女性と世間話して食べているだけであります。そうでなければ6年も一応「覆面自腹」の看板を上げていられません。
十時氏は私が年がら年中批判をしているように書いていますが、思いこみもここまでいくと滑稽であります。
慈愛の精神や寛容さがまったくない「非人間」みたいに罵倒していますが、度量のないライターなら怒って「名誉毀損」で訴えるほどの中傷でしょう。
飲食店の商売だけではなく物事はやはり「結果」も大事であります。
食材の相場価格、立地条件、料理店オープン時の不動産価格、また食材の仕入れ方法、その料理にどのくらいの仕込み時間、人件費などはその店によってそれぞれ違います。
一般客はそんな細かいことまで考えません。せいぜい「銀座でこの内装、このサービスを考えたら、この料理は・・・」と判断するだけであります。
18万円の仔羊を25万円で購入するのは自由ですが、そんな変な事情は客にはまったく関係ないこと。
ワインの値付けが高くないと力説していましたが、それが本当なら「仕入れ値が他店より高い」ことを意味します。そんな個別の事情をなぜ一般客が勘案しなければならないのか、それこそ奇異に感じます。

他に何か人が読んでこんな素敵なことがここの料理店ではあったというようなエピソードのひとつも書かれていると人はそこに行かなくても幸せな気分になるのではないかと思いますが書かれている事は100%に近いくらい料理店の悪口でマイナス部分を見つけてやろうというネガティブな気持ちで食事をして心から楽しいものでしょうか。おそらく脳内分泌ホルモンは出ていないでしょうね。
いろいろな料理店があり、様々な場面で料理店を自由に選択できる平和な時代の中でも不況の波にのまれ、2009年を前進してゆくことができない人もいます
もっと助け合いの精神を持ち、人のことをけなすことに時間を費やすのではなく自分の持てる力で周りの人を幸せにすることを日本人は考えても良い時期に来ているのではないでしょうか。
是非、ご推薦のガチミシュランの印税で、理想の友里料理店を開店なさってください。
銀行から借り入れなくとも資産はおありのようですから他人の褌で相撲をとらずに施工業者、食材さがしから、生産者との人間関係の構築、全ての業者さんの手配、など全てご自分の力でやり、人の為に尽くすスタッフ教育をしてみてください。
そうすると今まで見えてこなかったことがきっと見えてくると思いますから。

これまた思いこみの激しい反論です。脳内分泌ホルモンがなんだか私にはわかりませんが、私は100%に近い悪口を連発していません。
それこそ、ひどいと思われる店でも、1つくらいは良いところを書いているつもりです。
ただ全部悪い店はあっても、全部良い店、完璧な店は存在しません。バランスをとるべく、良いと思う店でもいくつか指摘するのが友里のスタイルであります。
いくら素敵なことが1つあっても、それを帳消しにする料理人の性格の悪さがあっては一般客にはたまりません。
無理して1つだけ良いところを見つけ出して煽ることは、一般客のためにならないと考えます。
よく批判された人が「それならお前がやってみろ」みたいな事を言って話をすり替える手をとります。確かに店評価で生計を立てている人は「他人の褌」で相撲をとっているとも言えなくはありませんが、それが直「理想の店を開店」に結びつくのか。
そんな理論がまかり通るなら、この世から評論家は壊滅します。
政治評論家は政治家になれ、いや週刊誌や新聞などマスコミも批判するなら政治家にならなければなりません。
映画評論家は映画制作会社を、音楽評論家はオーケストラを所有しなければならないのか。まったくの暴論であります。
私はそのまま十時氏へ返したい。
客として「ボン・ピナール」へ行ってワインリストを見て、「ロオジエ」や「アピシウス」でホールサービスを受け、「京味」で鮎を食べ、「飛雁閣」で干し鮑料理を食べてみてください。
そうすると今まで見えてこなかったことがきっと見えてくると思いますから。