船場・吉兆の再開がワイドショーでバンバン取り上げられています。昼夜ほぼ満席だとか。マスコミに見られるのが嫌でなければ、話のタネに行ってみようか、という人がかなりいらっしゃるのかもしれません。今なら食材も調理も手抜きなく最大限の努力をするいというのは誰でもわかるからです。私も予算と時間があれば行ってみたかった。
しかし、今は怖いもの見たさ、話のタネ、常連が恩を売るため、と色々な思惑で訪問する客があると思いますが、2月まで続く閑散期を乗り越え今後も客が入りつづけるかどうか、予断は許さないと考えます。
さて今日は、「おとなの週末 2月号」の後編、マスヒロさんネタであります。
必ず読ませていただいている「365日食べ歩き手帳」、今回はかなり違和感を覚えた、読後感の悪さが残った、という読者が多かったのではないでしょうか。
船場・吉兆の偽装問題から筆が滑り過ぎたのか、「数年前に吉兆のニセモノを最初に見破ったのはこの私である」と宣言しています。
要は、「歌舞伎座店」で「混ぜ山葵」を出しているのを指摘しただけで、マスヒロさんと同じく化学調味料を気にしないJ.C.オカザワでも気がつくレベルです。「弊店は本山葵を出しています」と言っているわけではないので、「偽装」でも「インチキ」でもないと思うんですけど。
そんなことより、マスヒロさんと昵懇の野田岩の「天然ウナギ偽装」に対してのコメントはないのか。野田岩をどうして見逃すのか、と私は突っ込みたい。正確には、「偽装」ではないかもしれませんが、如何にも「天然」しか使っていないように一般客に受け取れるキャッチ、宣伝口上を垂れ流していたからです。
だいたい、化学調味料入れ過ぎの「有昌」の「シイタケそば」を絶賛したマスヒロさん、大量投入の「桃花林」を絶賛しているJC、なぜ化学調味料には鈍感で、混ぜ山葵だけに拘るのか私には理解できません。
おそらく化学調味料に慣れ切っていて、入っているかどうかがよくわからないのでしょう。
もう一つ。これはもうマスヒロさんの驕りとしか言いようのない暴言がありました。創業百年もたっていない吉兆は老舗と呼ぶに値しない、料亭・吉兆で食べたことにない者(マスコミ)が一方的に書いている、との件まではまだ理解できるのですが、
「日本人のほとんどは、生涯「吉兆」の料亭になど足を運ぶことはないだろう。自分の人生に縁のない店と思えば、偽装食品に引っかかることもないのである」
は何様の発言なのか。
確かに吉兆の料亭は敷居が高く(値段も高いらしい)なかなか行ける店ではないでしょう。勿論私も行ったことがありません。自腹ではなかなか行ける店ではないのはわかりますが、「行けもしない庶民がガタガタいうな」的な発言はいかがなものか。
そういうマスヒロさんも、嵐山吉兆へ行ったことはあるようですが、東京の料亭へ行ったことがあるのか。
嵐山はネットで誰でも予約がとれて夜でも42000円から食べられます。でも、東京の吉兆本店は、紹介がないと予約できないし、一人7?8万円かかはずです。
一般読者の目線ではなく、店側と握手するスタンスの執筆活動で原稿料を稼ぎまくり、飲食店プロデュースでも収入を得ているからそこそこ高額な「料亭」へ行けるだけではないか。でも、そんなの自慢になるか。自分の生業のもとである読者や一般客を見下して蔑にし、店側とくっついて得たお金で料亭へ行くのに後ろめたさを感じないのだろうか。
自分がプロデュースし、あれだけ煽って宣伝した「ゲンテン」の閉鎖にも知らん振りを決め込んでいるマスヒロさん。一般客だけではなく、出資者のゲンテンへも迷惑をかけたと思うのですが、その反省はあるのか。何か自分は特別だとうぬぼれているように見えるのですが、ただの下町食濃い味好き、化学調味料大好きな自称料理評論家なだけであると思います。
他山の石として私もああならないように自分を戒めなければならないと思った次第です。