第866回 今では普通レベルのフレンチ、ミヤモト 1

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  • 2006年1月18日(水)
「ヒラマツグループ」の前身である
「ひらまつ亭」が入っていた西麻布のビル地下で営業していた
「クリニャンクール」をご存知でしょうか。
宮本シェフは当時若きシェフの親睦団体、
確か昭和30年生まれ以降か
30歳台のシェフが集まっていたとされている
「クラブ ミストラル」の最高幹部の一人で有名でした。
手軽なフレンチが未だ少なかった頃、
1万円以内で結構しっかりしたフレンチが食べられるということで、
客はそれほど多かったとは記憶していませんが、
知る人は知る使い勝手のよい店でありました。
そして近所に
奥さんが対応するワインバーまで出すほどの羽振りでした。
ワインバーの料理は、「クリニャンクール」から運んでいたようで、
ちょっと無理がありましたけど。

しかし、第三次ワインブームの終わり頃、
思い切って銀座に移転という勝負に出てきたのには驚きました。
なぜに今(当時)わざわざ銀座へ出て行くのか。
いまでこそ、
「いつかは銀座で人気店に」という風潮が珍しくないですが、
当時はかなりの冒険にみえました。
大きな勝負を賭けた銀座進出でしたが、
パートナーとのトラブルからか
1年経たず撤退の噂を聞いたときは
あまりの短期間での決断にびっくりしましたが、
ある程度予想できたところもありました。

その後、テレ朝通りに
「トレフ ミヤモト」と称するフレンチを出して
挽回をはかりましたが、
マスコミや一般客の注目を浴びなかったようで、
集客は芳しくなかったようです。
私はこのテレ朝通り店に行った事がありますが、
シェフの情熱は冷めたのか、
21時過ぎにはもう厨房にその姿を見る事ができず、
残念な思いをしたことがあります。
モチベーションが保てなかったのか。

そんな時、テレ朝通り店の閉鎖を知り、
思わず閉店か、とコラムに書いてしまったのは早とちりでしたが、
六本木へ移転したのをいろいろな方からのご指摘で知りました。
正に放浪し続ける宮本シェフ。
今度は近所に「龍吟」や「鮨なかむら」があり、
立地は悪くありません。

<明日につづく>