第713回 都心で閑古だったのになぜ地方で人気店に?

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  • 2005年7月23日(土)
地方から東京へ、郊外から都心へ、
街場の小さな店から再開発ビルへ、
と無理にステップアップをはかった飲食店の苦戦、
埋没の例を挙げるのは簡単です。
趙楊、かつぜん、パ マル、
おはら‘ス、竹やぶ 六本木ヒルズ、ゲンテンなどなど。
予備軍としては「チャイニーズレストラン 直城」も控えています。

私が当初から声を大にしていっていることですが、
その地、その立地にあって得られた「店評価」を、
絶対評価と勘違いし、
競争激しい中心地で客単価を上げて勝負に出てくるから
このような結果になると考えます。

逆に都心から地方へ行く店があるのか。
多店舗展開しているヒラマツグループはさておき、
以前このコラムで取り上げた「カノビアーノ」。
京都で京野菜を主体にしたイタリアンを
ウリにしたかったようですが、
代官山の本店、分店も当初の勢いがなくなっているのと同じく、
京都店も最近はあまり話題になっていません。
京都の知人の話によるよ、完全に埋没してしまっているとか。

都心で人気店のカノビアーノでさえ苦しいというのに、
都心ではパッとしなかった店が地方へ移転して
成功している店があるという話を聞いて、
私は以前から気になっておりました。
その店は軽井沢の「エルミタージュ ド タムラ」。
予約困難なほど人気が集中して、最近は分店も出しているようです。
避暑地、行楽地の店なのに、
本店は子供入店不可との不思議な店ですが、
分店はハードルを下げたとも聞いています。
前店は西麻布にあった「ラ フェドール」。
移転前のアクアパッツァ近隣にあったこのフレンチに
私は昼夜数回訪れたことがあります。
良く言えば隠れ家的、はっきり言えば立地がわるく
目立たない店というハンデもあったからでしょうか、
いずれも客はまばら、昼時はまったく居ない時もありました。
典型的な閑古鳥が鳴いていた店だったのです。
料理も印象にまったく残っておりません。
いつの間にか店仕舞いしていたので、
あの集客では当然と納得していたのですが、何時からでしょうか、
彗星のごとく現れた軽井沢の人気店が同じ料理人、
田村氏の店と知り驚きました。
上昇志向が強いのが料理人の特徴ですから、
都心の店を閉めて地方へ行ったのは
運営面などの問題があったと推測できます。
都内で立地が悪くても、それなりのレベルの料理を出していれば
客はある程度来るわけですし、
「トレフ ミヤモト」のように移転という手もあります。

料理人の腕は5分では変わらない、
とミシュラン編集長が言ったそうですが、
店を持てるほど成熟した料理人の腕は、
数年たってもそう劇的な変化はしないはずです。
つまり、軽井沢の店は西麻布の時と
レベル変わらないと考えるのが普通でしょう。
軽井沢という地での本格風フレンチ、軽井沢の食材を使う、
などで業界人をはじめ都心からの常連が多いようですが、
多分に立地の妙で
「下駄」を履かしてもらった店でもあるのではないでしょうか。
いくら軽井沢近辺のよい食材を使っているからといって、
あの「ラ フェドール」の料理が
格段においしくなっているとは思えません。
仮にそうなら、流行っていないフレンチのシェフは
全員軽井沢へ移転すべきと考えます。

しかし、この田村氏の英断には感心します。
あのままあの地で続ける、
もしくは近くの人通りのよい地へ移転する、
といった行動にでていたら、
今の成功は手に入れられなかったと考えます。
この軽井沢の店も、
「立地の妙で繁盛店」の定説に則っていると言えるでしょう。